指導法を掲載する。その心のカラクリはリンゴの種だった。

■指導法を広めようと思った訳
笑わないと約束してほしい。
私がこれから書くことが、
どんなに可笑しいことであっても、
あなたにはじっとそれを我慢してほしい。
指導法のブログにて、
指導法を掲載しようと思った訳
それを私はここで説明する。
以前笑われた心の傷はまだチクチク痛むが、
これをちゃんと話さないと何も始まらない。
できる限り忠実に書くつもりだ。
しっかり口に手をあてて、笑い息を殺して読んでもらいたい。
■ヒーローがいた。
小学校の頃。
私には「心のヒーロー」がいた。
アニメの聖闘士星矢ではなく、
ドラゴンクエストの勇者でもない。
誰も知らないヒーローだ。
何かのコラムでそれを知り、
私は名前と彼のやった業績をメモにとり、
それをじっと自宅の机の引き出しに入れていた。
そして、私はそのヒーローをみんなに伝える機会を得た。
「私がなりたい職業」
そんな作文の機会だ。
私は心にずっと留めていたそのヒーローを、
みんなに告白することにした。
それは一人の少年にとって大変な決断だった。
私はザラ紙の作文用紙に、
短くなった黒いトンボ印の鉛筆でその想いを書き綴った。
茶色い紙の下敷きはその圧力で深く凹み、
赤い筋肉マン消しゴムは紙上に消し汚れを残した。
出来上がった作文用紙。
そこには確かにヒーローがいた。
■皆に打ち明けた。
発表当日。
お花屋さんや、パイロット。
ちょっと運動神経がいい子は野球選手。
そんな中で、ついに私の発表の出番が来た。
生唾が喉を通った。
私は教卓の前に立ち、みんなの顔を確認した。
ポケットからシワシワになった作文用紙を取り出し、
ゆっくりと広げた。
そして・・・私は1行目を読んだ。
「僕はジョニーアップルシードになりたい」
みんな、ハッとした。
私は読み続けた。
■熱く語ったジョニー
「ジョニーは西部開拓時代の英雄です。
彼はいろんなところを歩いて、りんごの種を皆に配りました。
そして農業の方法を人々に教えました。
だからジョニーアップルシードのアップルはリンゴで、シードは種です・・・」
私は改行が一切ない作文マスを一つ一つ丁寧に読んだ。
みんな真剣にじっと聞いていた。
そして最後の行を私は目で追って、声にだした。
「だから僕はジョニーになりたい。」
私は読みきった。
作文はとっても苦手だったが、
ジョニーの情熱はそれを上回った。
私は充実していた。この上ない喜びに満ち溢れていた。
教室を照らした日の光は15ワットほど明るくなった。
ただし。
それは一本の手が挙がるまでの話だ。
「質問があります!」
一本の細い手が挙がった。
■0%の悲劇
一本の手の持ち主は言った。
「ジョニーにはなれないと思います。
 なぜなら、ジョニーは人だからです。
 職業ではありません。」
一瞬で目の前が闇と化した。
つまり彼は私に高校生で学習する確率の話をしたのだ。
ジョニーは職業ではない。
ゆえにその職につけるのは0%だ。
私が彼に反論できる余地も、併せて0%だった。
私は顔を真っ赤にして下をうつむいた。
そして心の中で反論した。
『職業じゃないんだ。
 ジョニーなんだ・・・
 リンゴを配ったジョニー。
 彼になりたかったんだ。』
そして二度とジョニーのことを口にしなくなった。
非現実的なその夢は0%だったからだ。
■四半世紀後にその意味が分かる
それから時は20年以上すぎた。
私は東京・四谷の丸の内線のホームに立っていた。
目の前には小さな緑色の広告があった。
何の広告かは覚えていない。
しかし、そのとき、分かった。
「そうか指導法を掲載するワケは、
 ジョニーに近づきたいからなんだ。」
この指導法をブログで掲載し、
算数や数学を教える立場の人たちに伝えている。
どうしてこれに喜びを感じるのか?
それは自分の指導法が「小さな種」と感じているからだろう。
もちろんこれは完全な種ではないし、
上手く育つかどうか分からない。
でも種を配り続けていれば、きっと誰か育ててくれる。
もし実れば私が教えられる数倍、数百倍もの多くの子どもたちがリンゴを口にできる。
それが嬉しい。
私にとって、これがジョニーなのだ。
たぶん20数年前のその想いは、
心の奥底でじっと眠っていたのだろう。
あのグチャグチャニ丸めた作文用紙が、
今でも私の目には焼きついている。
そしてあの頃の自分に、いってやりたい。
「君は実現0%の扉をこじ開けた」
■笑い話でも構わない。
ここまで読んで下さった方、ありがとうございました。
「いい歳して子どもの頃の憧れが、
 今になって出てきただけなのか?」
となんとも呆れる話でしょう。
でもそれでも良いじゃないかと思っています。
今、私はこうやって笑い話にできるぐらい、
その喜びを感じています。
それでいいんじゃないかと思うのです。