わが子に「魚」か「釣り方」か?

お腹を空かせたわが子に、
「魚」を与えるか?
「釣り方」を教えるか?


■私は「釣り方」を教える。
魚を与え満腹にさせてあげたい気持ちを押さえて、
子どもと一緒に空腹を我慢しながら、
私は釣り方を教える。
針のつけ方から、
魚がいそうなポイントの探し方まで、
一つ一つを丁寧に教える。
日が暮れても、夜が明けても、
私は一向に構わない。
お腹が空いたよ・・・という弱音にも、
魚が見ているぞ!と肩を叩いて元気づける。
そしてやっと魚が釣れた。
しかし、それは小さな手のひらサイズ。
市場に並ぶ大きな魚とは、全く比べ物にならないほど小さい。
食べられるところなんて、ほんの少ししかない。
しかし。
釣り糸の下でピチピチと跳ねる魚を、
私は大変喜ぶだろう。
まるで大型カジキマグロが釣れたかのような、
人生最大の笑顔を浮かべて。
なぜか?
それはただの魚ではない。
子どもが自力で勝ちとった
「生きることの一歩」だからだ。
私は子どもを「生かせる」ためにいない。
私は子どもと「生きる」のためにいる。