子どもをやる気を自然に育む―誉めないコーチングは「納得・期待・労い」なんだ

ぼくは子どもたちを簡単に誉めません。褒めることは簡単そうで簡単ではないからです。それで誉めることなしに、その気・やる気・本気を育むめるようにはたらきかけてます。
今回の記事は、数年前に書いた記事を縮小版で掲載しましました。

なぜ人は誉めたがるのか?

コーチングと言えば「誉める」ことばかりが一人歩きしています。誉めるってなかなか難しい技術ですよ。人によってはわざとらしく聞こえますし。

子どものやる気を育みたい。そう思って誉めるのなら止めた方がいい。だって、だれかが誉め続けなければならなくなります。それはおかしい。

それに誉めるは「麻酔」です。一時的に気分が良くなるだけ。永続的なやる気を育むために、誉めるだけでは限界がすぐに訪れます。

誉める前にやるべき「納得・期待・労い」

ぼくはそう簡単に子どもを誉めなくていいと思っています。以前、記事で『ぼくが息子をなかなか誉めなくなった理由』(2012年8月の記事)で書いたけれど、それから4年経った今も同じ考え。

誉める前にやるべきことが実は沢山ある。それでやる気は育まれるし、そっちの方がずっと自然。だから今でも「納得・期待・労い」は大事にしています。これを1つ1つ解説したいと思います。

子どもに「納得」を示す

わが子の話となると、まぁ半分聞いたあたりで、つい口出しをしたくなるものです。とくに親側の意図にそぐわないとき、親が質問し、子どもの答える。

その答は大概、親の心に「反論」を沸きおこらせるものです。ここで反論すると、あとは耳が痛い親コトバのオンパレードでしょう。(嫌がる親コトバは、右の記事で紹介してます:『子どもが嫌がる親コトバ―その解決のヒント』)

まぁなかなか難しいのですが、震える握りこぶしを隠しながらも、子どもの良い分を丁寧に聞くことは大切です。そして本人の言い分のほんの一部でも、納得を示す。これがとても大切だったりします。

例えば、勉強しない息子に話をします。すると
「勉強する気になれないんだよね」
と息子。ここで
「私も身に覚えはあるわ。分かるよ」
と言う。子どもはホレどうだ!という顔をするかもしれません。一瞬イラッとするでしょう。(そこで「でもその後の結末もわかる」と(笑)をとりがちな上級者のぼく…)

それを受けて「その気分の中で、やるのかな」と話せば何かしら伝わるものです。

子どもに「期待」を示す

誉めることなしに、こちらの気持ちを示す。相手が成長する、成果をあげる。未来へのプラスイメージが「期待」です。

真剣に誰かがその人を期待すれば、その子どもはそれに期待に応えようとします。そこから出てくるエネルギーは想像を遥かに超えています。

例えば定期試験前に子どもに尋ねます。
「今回の社会はどんな感じになりそう?」
「前よりは勉強したよ」
「そうか…すると楽しみだよね。上がるかな。
結果、聞かせてよ?」
「もちろん、知らせます」

このようなやり取りでも十分。相手に期待という言葉はなくても、そこに期待が受けてとれます。

ただ期待は難しい面もあります。実は「期待している」という言葉は、直接的です。プレッシャーを与えかねません。

以前書いた記事『子どものやる気がでる効果的な声のかけ方(前編・後編)』にでも似た感じの話を詳しく書きました。ご参考にして下さい。

要するに相手の結果云々への期待よりも、ただ未来へのワクワク感を共有できればいいのです。難しく考える必要はありません。

子どもに「労う」

「労い」は、日本独特のもので、他の国々にはこれに相当する言葉はないとか。(人を馬鹿にしているように聞こえるそうです)

ぼくはこの「労い」を特に重視しています。たとえどんなに勉強をせず試験に挑んだ子でも、ぼくは労っていますね。

「試験、お疲れ様」

でもいいですし
「無事に終わってよかったね」
でもいい。どんな小さなことでいいんです。

たとえ『自分は何も努力をしていない』と本人が思っているなら、そんな鬱々とした心の中で、

「それでも前に進んでいる。ご苦労様だよ」

と言っています。この労いには自分の変化の欠片に気づかせる力があります。それを汲むのです。

その潤す心の体験が子どもに必要なのです。例えば、試験勉強をせずに試験を終えて、お子さんが肩を落として帰ってきたら、

「今さらウジウジしても仕方ないんだから、早く友達に電話をして遊んできなさい」

と言ってあげる。これも立派な労いです。

まとめ

「納得・期待・労い」という誉めるとは違った子どもとのかかわり方を説明しました。これらは何も難しいことではなく、日常的にやっていたりします。しかし子どもに対して使おうとしません。

そこには何らかの『そう言うことを言うのは良くない』という心理ブロック作用いるからです。それがあるのなら止めていいんです。

「子どもをやる気を自然に育む」とは「親たちが自然になることの裏返しだ」とぼくは思っています。不自然に誉める前に、この素直に納得し、期待し、労うことの日常をお勧めします。

この長い記事を読んで頂き、ありがとうございました。