ぼくの子育て話が触媒になる未来予想図

P1100590.JPG
授業の合間のぼくの子育て話は、教え子の賛否両論を生むので楽しみ。そして教え子たちが自分だったらの話はもっと楽しみです。


ぼくの子育て話が触媒になる未来予想図

「先生のうちってやっぱり変だぁ」
ぼくが教え子にぼくの家のことの話をすると、教え子たちは皆そういいます。わが家にはゲーム機はないし、テレビもない。子どもがもつオモチャも木箱たった1つ分。たしかに少し変わっているかもしれません。いや、教え子たちの環境とだいぶ異なっているのは確か。
それなのにそんな環境にいるナオ(ぼくの息子)は、とくに不平不満をいわず生活しています。それが教え子たちには“変”に映っているようです。
中学2年生のK君にも「どうしてナオ君は不満を言わないの?」問われて、ぼくなりに少し考えて話しました。
「K君の今の生活はどこでもドアがない生活だけど、
 それになにか不満を感じたことってある?」
「ないよ」
「でももしどこでもドアがある生活を送っていたら、
 どこでもドアがない生活は不満に感じないかな。」
「不満に感じるだろうね。あ〜そういうことか。
 テレビはもとからないからナオ君は不満に感じないのか。」
「うん。そうみたい。」
「でもどこでもドアはないけれど、
 テレビやゲームは世の中にあるんだから
 やっぱりないのはおかしいよ。
 可哀想だよ。不良になちゃうよ。」
とご不満の様子。そしてさいごに
「ぼくは先生の家の子じゃなくて本当に良かったよ。」
という感想に落ち着き、思わずぼくも笑ってしまいました。
「ここには優しいお父さんとお母さんもいるからね。」
「あ、それはノーコメ(ノーコメント)ね」
■親御さんからの謝罪?
そんな話をした翌週、そのKくんのお母さんから深々と謝罪されました。
「みかん先生、本当に失礼致しました。
 息子が先生の子育てについてご無礼なことばかり言って。」
「子育て?」
はじめそんな子育ての話をした覚えなくアレコレ考えたのですが、それが先週に話した家の話と分かるとこっちが気恥ずかしくなりました。あんなとりとめのない話が“子育ての話”に格上げされていたので。
お母さんの話によると、ぼくが帰った後、Kくんはぼくの家庭環境の話をアレコレ話したそうです。お母さんはKくんのぼくへの生意気なモノの言い方をとても叱ったとか。それを聞いていて焦ったのはぼくでした。
「あの…話し方の点は全く気になさらないで下さい。
 それよりKくんは他になにか言っていませんでした?」
「『ぼくの場合は、こどもにゲーム機は買って、一緒にこどもとやるんだ!』なんて馬鹿なことを言ってました。ホント、あの子ったら…。」
お母さんは顔をゆがめていました。でもその話を聞いたぼくは嬉しく感じました。そんな風に自分の未来をイメージしているのかぁなんて余計な想像を膨らませて。おそらくそんな日は来るのでしょうね。今から楽しみです。
ぼくの変な子育ての話もKくんの未来イメージをひろげるきっかけ−イメージの触媒−になれたみたいです。これからもこんな話題を勉強の合間に振ってみたいです。

木の箱:息子と娘のおもちゃばこ。折角だからとシロクマのぬいぐるみを箱に乗せたんだけれど、なんだか腹筋を鍛えているように見える。