楽しい夏のイベント三昧で「もう帰りたい」と洩らした息子―これがぼくの夏休みの宿題

夏休みのイベント東京に住む息子ナオが、夏休み家族をはなれて鹿児島の田舎で過ごしました。楽しいイベントの中で出てきた「彼の言葉」をぼくはヨメさんから聞きました。それがぼくの「父親の役目」という夏休みの宿題になりました。

毎年恒例の武者修行

もう誰かが決めた訳ではない自然な流れです。夏休みに息子ナオが、ぼくの実家(鹿児島)へ長期滞在をする。これは、娘が生まれた年から続いています。

ナオは今年も、この鹿児島滞在を本当に待ちわびていました。5月から「夏休みに鹿児島へ行く」と周りに言い散らして、七夕の短冊には「かごしまの◯◯◯と、いっしょにくらせますように」と書いたり(「◯◯◯」は従兄弟の名前)。彼の頭の中は「鹿児島」だけでした。

案の定、楽しい。

案の定、楽しい。

で行ってしまったら、とても楽しんでいるご様子。鹿児島のぼくの姉夫婦や妹が、ラインで知らせてくれました。送られてくる写真は、虫取り、魚釣り、川遊び、キャンプファイヤー。どれも本当に楽しんでいるものばかり。

東京を離れ2週間後、夏休み中のヨメと妹と鹿児島の実家で合流し、それから暫くして、何かが途切れたようにナオはヨメにぼそっと言いました。

「もう帰りたい」

毎日、楽しく遊んでいるのに…なぜ?
ヨメがその理由を尋ねました。するとこう応えました。

「お父さんに会いたい」

この言葉がぼくの夏休みの宿題となりました。

どうして逢いたいんだろう?

どうして逢いたいのだろう?

息子からこんな言葉を聞くと、父親はみんな嬉しくなるはずです。息子から父親としての価値が認められたというか。やっぱりお父さんが好きか…と頭をボリボリかきながら照れる。それがお父さんです。

でもぼくはこの言葉…確かに嬉しかったのですが、ちょっと戸惑いました。

どうしてお父さんに逢いたいの?

そう思ってしまって。

夏は仕事ばかりの人=お父さん

お恥ずかしい話、ぼくは自分自身をイベンター役として『いいお父さん』とは思えないんです。普通のお父さんが夏休みにやる、海でザバーッとか、山へドーン!とか、ゲームをバーン!とかありますよね。楽しい写真を撮ってとか。

しかしぼくは、ちがう。夏休みはずっと仕事。少し遊ぶ時間が空いても、公園か…スーパーで一緒に買物して終わり。大きな時間を使っては、何にもやらない。

察しがいい方は、このあたりで気づくかもしれません。実は、ぼくが実家へ息子を預けるのって、その罪滅ぼしでもあるんです。

お父さんにつき合う必要はない。田舎で夏のイベントを楽しみなさい。という感じの。あぁなんと哀しい…。

お父さんにある「別の役目」

ちょうど、それとタイミングよく父親について、小説の解説の一文にぶつかりました。

身も蓋もないことを言うと、出産や授乳というプリミティブな行為を伴う母と違い、父っていうのは「関係性=役割」でしかないようなところがある。だから現代の父親たちは「父親らしさ」を、演じることで懸命に「父親」であろうとする。【解説:流星ワゴンより】

まぁこう言うのを読むと、妙に納得してしまい…ガッカリしましたw 確かにその通りですよ。父親は賢明に父親であろうとする。

ただね、息子の「お父さんに逢いたい」という声をきいて思ったのです。彼にとっての父親は、また取り替えることができない別の役目があるのかも知れないなぁと。

どんな役目か?演じているものとは別の役目としか僕も言えません。ひょっとしたらその年齢や友好関係等で変わりゆくものかもしれません。

最後にー夏休みの宿題は遅れそうです。

まぁとにかく何にもしてあげていないはずのぼくが、彼の空間の1つのパーツとなっている。もしそれが本当なら、素直にぼくも嬉しいです。これからも父親としての役柄が設けられているのであれば、一生懸命に右往左往しながら演じていきたい。

「お父さんの役目は?」 夏休みの宿題の提出は、大幅に遅れそうです。