子どもたちから尊敬されたい、と思ったことがありません。
尊敬はされなくていいんです。尊敬されることを考え始めたら、むしろ授業は上手くいかない気がします。
子どもたちの良き理解者であり、彼ら彼女らの成長を心から願う1人でありたい。
僕が願うのはそれだけです。
「みかん先生って、普通だよ。
違うところはよく話を聞いてくれるぐらいかな。
僕が勉強できるようになったのは、僕の力なんだ。
先生のおかげじゃないよ。これは僕の力なんだ。」
もしこんな会話が生まれることが、僕の目指すべきゴールだと思います。
そこに<みかん先生の力>とかいらないのです。
ただし、こんな会話が繰り広げていられたら?
「みかん先生の授業って分かりやすい。
先生がいてくれたから私は数学ができるようになった!」
会話は嬉しいのですが、こんな僕には修行が必要です。
僕が誉められちゃいけない。本人が誉められている間は「みかん先生」は未熟です。