人工知能のある未来ー社会はどうかわり、教育はどうするべきか。その2/2

これから人工知能社会を迎える我々は、人工知能と関わる上でどのような能力を身につけておくべきか。

それについて、前回の記事で「自分の考えをロジカルに書ける・自分の気持ちを正しく表現できる・AIに質問し会話を深化できる」と書きました。

今回は、これらの能力を高めるためにお勧めしたいこと、そしてぼくが徐々に始めていることを説明します。

結論から書きます。

ぼくがお子さんにお勧めしたいこと、それは「日記を楽しく書く。ただし、正しい文法を学びながら」という習慣づくりです。

常日頃、今の子どもたちと接しながら、文章を書く経験が不足していると痛感します。

まず文章が正しくない。主語と述語が連動していなかったり、助詞の使い方が不適切だったりです。

その経験不足を補うためにも、子どもたちに日記を書くことをすすめています。

しかし「書こう」といっても、子どもたちはどう書けばいいのか分かりません。

まずは、日常の出来事を自分なりの視点で書いてみたり、おもしろおかしく書いてみたらいいと思います。

そして書いた日記を他人に読んでもらい感想をもらう。そのサイクルが書き続ける上でも大切です。

ただし、その日記は「正しい言葉の用法を学びながら」でなければなりません。

日記を書きながら、主語・述語の対応、言葉の品詞、意味段落の使い方など、少しずつ学びながら文章をステップアップしていく。徐々に高度な文章への橋渡しができます。

そういったことを踏まえて、今、ぼくが一部のお子さんたちにやっていること。もうお分かりかと思いますが「日記の添削」です。

まず一読者として面白く読ませてもらいます。特に面白い箇所・素晴らしい箇所をコメントします。

その上で言葉の誤用を指摘して、また別な言葉への表現の提案します。

例えば、子どもたちの日記はどうしても「楽しかったです」「思いました」という言葉が多用されます。

「楽しかった」は、「心が踊る・上機嫌・天にものぼる心地・胸が高鳴る・目尻を下げる」などもっと具体的に表す表現に書き換えることができます。

「思いました」は、「考える・頭をひねる・推しはかる・思い直す」など心の姿勢を表した表現に書き換えることもできます。

使ったことのない言葉を使うのは勇気が入ります。そこをどんどん促していき、お子さんの言葉の表現幅が広がるように心がけています。

また日記の全体構成についてもアドバイスしています。出来事ことをつらつらと書くのではなく、起承転結と構成を練ってから書いてみる。

すると日記がちょっとした物語に変わります。これは文章を書く上での大きな自信へと繋がります。

他人からのこのような働きかけは、お子さんの可能性を探り、自己肯定感を育む上でも極めて価値が高いものと捉えています。

ぼくとお子さんとの付き合う時間は、一生のうちのほんの僅かです。

これまで数の世界に絞って関わってきました。

これからは少しずつその範囲を広げて、お子さんが「その先の未来で幸せに生きていく力」を身につける、そのための力添えができたらと思います。


余談ですが、日本の学校教育は(算数の計算ミスにはうるさいのに)、言語表現の誤りについて寛大な傾向があると思いませんか?