じぶんの正解を知っているのは、じぶんだ。

なんといえばいいのか…とにかく、ぼくが余計なことを言わないのは、ぼくが何でも知っている先生じゃないから。何でも知っている先生は、君自身なんだよね。


じぶんの正解を知っているのは、じぶんだ。

つい先日まで、
自分はこの道でいきます!
といっていた子が、
アッサリとその道を止めました。
諦めたってことです。
まぁそのキッパリ感は
清々しいほどでした。
「まっ、それもいいよ。
 またやりたければ、
 目指せばいいし。」
としかぼくは言わず。
そもそも、こういった道に、
他人がアレコレ言うもんじゃない。
とぼくは思ってます。
世間一般的に
諦めること=残念なこと
というかんじ、ありますよね。
それを励まそう!という風潮が
よく起こったりします。
けれど、
それこそ本当の正しい判断を
鈍らせる原因となるんじゃないかな。
諦めることも、続けることも
その答は本人の心にある。
だから。
その正しい答が出せる為にも、
外野は余計なことを言わない。
うんうん
と聞けばいい。
まぁそんな聞き上手でも、
勝負どころはぼくが願っていた方向性を
子どもたちが選択した時。
ぼくだってつい…
誘導してしまいたくなる。
でもそれをしてしまうとダメ。
上手くいくものも上手くいかない。
「そういった方向もあるし、
 こういった方向もある。
 慎重に判断していけばいいよ。
 話ならいくらでも聞くよ。」
と言わなきゃいけない。
そうちょっと前に書いた記事(「あぁニュートラル!」と言うぼくの位置について)と同じニュアンスで、ぼくが一方の価値観に偏らないことが大切なんですよね。
そんなことをかくと、
『子どもには正しい判断がつかない。』
と思うかもしれない。
けれど、それは間違い。
子ども自身のことは、
子ども自身が一番知っている。
ずっとその体と心で付合ってきたのだからね。
(世界中の誰にも気づかないウソをついたことだって、本人はちゃんと知っているしね)
そのつまり…
子どもを侮るなよ!
ってぼくは言いたいんだな。