算数の問題で“負ける甲子園の青春”を想った

そりゃ、勝利のためにゲームはあるのは分かっている。でもね現実は「負ける青春」もあるんだよな。そんな負ける青春の中で、強く光輝く瞬間を球児たちは味わっているんじゃないかな。そんなことを算数のある問題から感じました。


算数の問題で“負ける甲子園の青春”を想った

嫌がらずに読んでみて下さい。

甲子園に参加する高校の数は49校です。甲子園のトーナメント戦の試合数は何試合あるでしょうか?

そしてこの問題は、こんな式で求められます。

49-1=48   答.48試合

なんというかウソみたいな解き方ですがほんとです。そしてこの問題の解き方、いや考え方に甲子園の青春の輝きがあります。
そのからくりは「負けた数」←読み飛ばしOK!!
なぜ、1をひけばいいのか?その理由はカンタンです。

トーナメント戦のすべての試合には、勝者と敗者がいます。1試合のなかに1つの勝ちと1つの負けが用意されています(大前提)。
試合で勝った学校は、勝ちを貰って上のトーナメントに進み、負けた学校は負けを貰って参加からおります。それを繰り返して、さいごに残った2校により決勝戦。そこで勝利を収めた1校だけが優勝です。
ここで考えて下さい。
全ての試合が消化されたということは、“試合の数だけ用意されている勝ちと負けをすべて配りおえた”ということ。
しかし1校だけ負けを貰っていない学校があります。それは優勝校。優勝校だけは負けていない。
そこで用意された負けの数がすぐ分かるんです。
49ー1=48  用意された負けの数は48こ。
すべての試合に勝ち負けが1つずつ用意されているから試合数はこの負けの数とおなじ48試合と分かるのです。

理由はそれだけなんだけれど、この負けの数から甲子園のなかの負けの意味を考えたのです。
怖くても優しい甲子園
ぼくは子どもの頃、甲子園って1度負けたら終わりというのはなんだか残酷だなって思っていました。1球に泣いて、一振りに泣いて、甲子園を去る。どんなに強豪校でも負けたらそこで終了。2度はない。
でもこの問題をみて、少し見方を変えると甲子園って優しいところ感じるのです。それは
全ての学校に平等に負けが1つ配られるってこと。
グランド設備も侭ならない地方の野球部でも、設備が充実した甲子園常連の強豪校でも、出場の予選の切符は与えられ、そして負けると予選を降りなければならない。
順当に勝ち進んだ地方大会優勝の学校も、その後、甲子園でたった1つの負けもらってトーナメントを降りなければならない。とっても辛いと思う。悔しいと思います。でもね、みんな負けの数は同じ。1つだけ。
だから…というか、野球のキャッチボールすら何年もやっていない運動不足の30代男が言うのもおこがましいんだけれど、
『貴重な「負け」を味わってほしい。
 しっかりと。』

って思うんです。
試合が終わるとバスに乗り込む。シーンとするバスの中で、クスクスと涙が止まらないのかもしれない。でもその涙の成分はやっぱり希望と可能性で形成されている。だから負けたことを胸を張って誇ってもいいんだ。
夏の大イベントを終えて去るそのとき、もう球児たちの新しい挑戦は始まっているのだから。
ちょっと付け加えると、テレビで見て「打てー!」「よーし!」なんて叫んでいるおじさんたちは、負けて悔しがるすべての球児たちにほんとは強く嫉妬しているんじゃないのかな。
だってテレビを持たないぼくですら、甲子園情報を耳にしては野球グランドの臨場感を感じては、憧れているから。甲子園どころか、野球部も体験したことがないのにね。