叱るが少ない時代。柿を盗んで、誉められた話

社会全体が怒ることは多くなっても、叱ることってずいぶん減った気がします。
もしかしたら今の子どもたちは<叱る>という漢字自体、読めなくなってきているんじゃないでしょうか。叱る行為が減ってきて、漢字自体に馴染みがない気がするのです。
僕の勝手な考えですが、今、社会全体が叱るべきところを、怒ることで事態の収束させてる気がします。フッと沸き起こった感情を怒りとして露わにする。なんだか叱ることと怒ることの違いの境界線が、どうも曖昧な気がするのです。
■叱る、怒るの違い
まとめているコーチング法でじっくり書こうかと思っていたのですが、思ったことはさっさとここで書いてしまいますね。怒ると叱るって改めて書くとこういうことです。
怒るとは、相手に対して根底から沸き起こる怒りを露わにすることです。これは極めて個人的なアクションで、相手にぶつける事が目的です。怒る側の気がすむことがゴールです。
一方、叱るは何か?
叱るとは、相手の行為に対して冷静に指摘することです。これは相手の為のアクションで、相手が反省し改めることが目的です。相手に「期待」を伝えることがゴールです。
そういわれてみると、確かにそうだと思う方もいるはずです。
■叱るは人類の技術
叱るなんてずいぶんと古臭いような行為ですが、それは全く違うでしょう。怒ることは人間以外の動物同士でもできます。互いに威嚇しあったりしますよね。あれです。
しかし叱ることは、人間にしかできない行為です。しかも期待がベースにありこれは大変に高度です。そしていい叱られ方をすると、気持ちよいそよ風が吹くものです。怒りにはそよ風はありません。
■柿を盗んだ
ヨメさんのお父さん(義理の父親)から聞いた柿泥棒の話です。
昔、近所の友達と自分の兄と5人で、柿を盗みにいったそうです。自分の兄は木の上に登り、下に友達と4人に柿を振る落とすという作戦です。柿の木の下に作戦を実行しはじめたら
「誰だ!柿を盗むのは!」
と柿の持ち主に見つかりました。一斉に、木の下にいた友達は逃げ出しました。しかし幼いお父さんは動けませんでした。柿の木に登っている兄を置いていく事はできなかったからです。
柿の木から動けだせない兄弟が。柿の木の持ち主は恐ろしい顔をしてやってきました。ものすごく怒られると思ったそうです。しかし意外でした。
「柿を盗むのは悪いことだが、お前らは逃げなかった。
 逃げなかったのはとても偉い。だからお前らに柿をくれよう。」
兄弟でたくさんの柿を貰ったそうです。
■いい叱りは思い出となる。
このエピソードを聞いてあなたは、いい話だと思ったはずでしょう。盗む行為は叱られたけれど、逃げなかったことはしっかりと誉めています。
もしこれが柿を盗んで、叱られた!という結末だったらどうでしょう?
義理のお父さんの思い出とは残らなかったはずです。そして僕もここでこのエピソードを書くことはなかったでしょう。そうなんですね。いい叱りは心に懐かしい思い出として刻まれるのです。そして人の温かさや寛大さは、人を勇気づけるものです。
いい叱り方について、また、書きたいとおもいます。