学習の理由を考える

なぜ、勉強をするのだろう?
子どもという立場、親といつ立場、社会という立場。
いろんな観点から「学習」として考えてみました。


■学習ってなに?
日常生活のちょっとした拍子に、
学習ってなんだろう?
と子どものような疑問を思い浮かべます。
それが子ども達自身、学ぶ側の疑問ならよくあるのですが、
教える側である私が首を傾げるからおかしなものです。
「将来のため」
世間一般ではこんな答が流布しています。
もちろん、ごもっともです。
ただ、もう少し掘り下げて、
「その将来とは?」と考えてみました。
■学習とは「冒険」
子供たちに楽しい授業を行うとき、
そこには智の冒険的要素が必要になります。
子ども達自身がワクワクして、ドキドキする。
このような授業は理想です。
教える者の多くが憧れる授業だと思います。
しかしです。
ではワクワク、ドキドキだけすればいいのか?
と考えたらそれはちょっと違います。
習ったことが、全く身につかない。
こうなると、社会的学習の意義から外れています。
■学習とは「技術」
学んだことを社会生活に役立てる。
次のより良い社会の為に、技術を伝承する。
これも学習の重要な役目です。
学習とは長い歴史の積み重ねなんですね。
もし算数が嫌い!ということで、
数字といわれる全てを拒否したら、
まず、個人生活において大きな支障をきたすでしょう。
距離も分からない。
値段も分からない。
時間も日付も分からない。
今の生活からこの技術というのは、
きわめて浸透しているのです。
では、その冒険・技術が学習の目的か?
またこれだけではないのです。
■学習とは「進路」
教育産業がこれほど大きくなったのは、
この「進路」が学習の目的にあったからでしょう。
少しでもいい大学に入りたい!
少しでも豊かな暮らしがしたい!
人の根底にある要求の力が、
受験戦争を呼び起こしているのは否めません。
進路を目的に置くなら、
テストで○が貰える方法=学習方法となり、
学習の意味合いは大きく変わります。
学習意義からみれば行き過ぎた受験指導は大いなる問題を持っていますが、
だからといって「進路無視」の学習もどうかと思うのです。
■「冒険」「技術」「進路」の実現
私もグダグダ考えたあげく
じゃ、その学習とはなんぞや?
ともう一度、問い返すと
この3つを同時に実現すること。
これじゃないかと思います。
しかし、そんなことは可能なのか?
と思う方もいるかもしれません。
私は十分可能だと思っています。
要は
「技術」を十分に研究して、
その中に「冒険」となる要素を発見し、
さらに「進路」に生きる学習配列を形成する。

この流れをふんだ学習作りができさえすれば、
それは実現できたことと同じです。
■図式は学習の理想を体現化する
図式の図解は、探る・磨く・解くの要素を備えています。
●本質を探る=冒険
●理解を磨く=技術
●問題を解く=進路

このように「学習」の目的を、忠実に実現するように、
いろんな場面で図に役割を与えています。
ただ、図を描くのではない。
図を描く先に何があるのか?
そこが最も大切だと感じているからです。