「放ったらかし春休み」で心が回復した話

 春休みにおける「前の学年の復習」や「新学年の予習」はとても大事です。それは十分承知の上で、ぼくはわが子に対して何も言いませんでした。

ぼくの息子は中学2年、娘は小学5年。中学2年生から成績が進路に影響するし、小学5年生から学習も難しくなります。

春休み中に「前の学年の復習」や「新学年の予習」をしたいのですが、今年、ぼくはわが子に対してなにもしませんでした。

理由はいくつかあります。

まず、ぼく自身がこの1年間、ずっと気を抜けれず、ちょっと疲れていた点です。ということは、息子はもっと気が抜けない(=休まらない)ず多少のストレスを感じていたはずだからです。娘もきっとそうでしょう。

それなら、今、立ち止まってみようと。

春休みの提出課題は少ないし、定期テストもありません。休むにはベストな時期です。


ぼくは勉強について一切言わないことにしました。学校の話もしないことにしました。それぞれやりたいことを、思う存分させました。ほったらかしの春休みを決行したのです。

するとどうなったか?

結果は、予想通りでした。
息子は、思いきりゲームやユーチューブやプログラミング、音楽作成を楽しんでいました。朝から晩までずっと。ずっと。ずっと。この人、病気になるんじゃないかと心配になるぐらいやっていました。

でも学校があるときに度々出ていた蕁麻疹は一度も出ず。彼をずっと悩ませていた腹痛もなかったです。いつも充実していました。

娘も同じくゲームやユーチューブやお絵描きを楽しんでいました。朝起きたら「お兄ちゃん、マイクラしよう」から始まります。

たまに料理を手伝ってくれることはありましたが、それ以外、何もしませんでした。部屋の片付けさえも。

でも学校があるときのイライラがなかったです。

日々の課題がないのは、彼女の精神衛生においてとても良かったみたいです。また、自分自身をスケジュールに合わせたいのに、合わせられないジレンマを感じることも少なく。よく笑っていました。


今回の「何もしない」という試みによって、

社会的システムや親の不安がどれほど子どもたちに影響を与えていたか、よくわかりました。

何もしないことによって、ほんとうの子供の姿が見れた気がします。

昨夜、息子が言いました。

「プロ野球の球場が近くにあるから、野球とか見ればいいのに、と言われるけど、ぼくは全く興味ないんだよね。プログラミンをやっている時の方がずっと充実しているよ」

あれほど時間を与えたのに「時間が足りない」と。日ごろどれほどやりたい事をあきらめさせてきたか、ということでしょう。

本当は夢中になりたいことは沢山あったのです。

この放ったらかし春休みは、子どもにとっての充実を深く考えさせられました。この先の子どもたちの将来を考える上で、貴重な判断材料にもなる気がします。