学習項目をひとまず置くことが重要だったりする

子どもの成長は千差万別。でも学校の学習は文部省管轄で単一化されていて、これが親たちをあせらせてしまう原因ですね。少し躓くと慌ててしまう。でもそれを回避することも大切だったりします。



学習項目をひとまず置くことが
重要だったりする

ちょっとわが家のこと。
わが子が来年小学生入学をひかていますが、これがわが家の不安項目です。まだコミュニケーションは不十分で、3~4歳児程度の会話レベルなんです。情緒面でも問題はあります。おそらく発達障害の範疇に入るのだろうと思ってます。
そんな息子が来年からはじまる小学校の学習に、果たしてついていけるか?そりゃ難しいでしょう。意思疎通も十分に出来ないわけですから、先生が言っていることも分からないことが多いはずです。
それを思うと、むむぅ…と腕組みしたくなりますね。どうしよう…うーん…と解決案を探し。でもそんなときに肝に銘じているのがこの考え方です。
『出来ないことはひとまず様子をみてみよう』
苦手な子を教えているぼくが、そんなことを言い出したら身も蓋もないわけですが、じつはこれこそが苦手なことを教える上でとても大切な考え方であったりします。
このブログでも何度も触れていますが、苦手になっているその要因はきわめて複合的です。とくに学習の受け皿が十分ではない、というのは本当によくあって、その受け皿なしには、どんなに分かりやすく教えても身につきにくいのです。
もし貴重な時間をそこばかりに使っても、成果は出ないだけではなく心理的なストレスも生じてしまう。勉強が嫌になる。総合的に考えればデメリットの方が多いんですよね。
そういった場合、やはり置いておくのです。
先に解決できそうな箇所を学習していきます。そのなかで数日〜数ヶ月の間で、ちょくちょくその苦手な学習項目を改めて扱ってみる。感触を確かめる程度で。そのとき子どもたちの目の動きを見ていると「あっ受け皿が出来てきたな」ってわかる日がきます。そのとき教えればいいとぼくは思います。
なんだかずいぶんと楽観的な見方だなぁと思われるかもしれませんが、それはお許し下さい。
そうそう。今朝、息子がぼくに言いました。
「お父さん、ぼくもお支度がんばるから、
 お父さんもお仕事がんばってね!」
いつの間にか、こんな長い会話文も言えるようになりました。親が安心しても、不安に感じても、すべての子どもの成長は止まらない。それは世の流れです。それなら楽観のほうが、お得です。
(あっ、お支度とは、保育園の朝の準備のことです。)