授業のスマホ問題は、子どもたちの新価値基準のはなしだ

勉強中のラインやツイッターそれは今やどこにでもあります。子どもたちの性格云々に問題があるというより、これは時代状況によるものかと。


授業のスマホ問題は、
子どもたちの新価値基準のはなしだ


学校の授業中に
ラインやツイッターをするんですって!
先生、信じられます?
と言われるたびに、その気持ちはわかるなぁって思います。
そうそう、大人の常識からみれば信じられない。
そりゃ、けしからん!
ですよ。
でもね…だからといって
“子どもたちが悪くなった”と
は思わない。ちっとも。
ときどき教え子たちに聞きます。
「授業中に授業妨害をするのなら未だしも、個人的にコミュニケーションをする。それのどこが悪いんだ?と思うんじゃない?」
とやっている子に尋ねたら
「そうそう!
 先生、その通り。
 さすが先生!」
とぼくを賞賛してくれました。
これ聞いて、カチンとくる大人いると思いますよ。
でもここにこそ授業への感覚の違いがあります。
こんな書き方をすると自分も年なんだなと思ってしまいますが、ぼくの時代(昭和50年代生まれ)は今の子たちの感覚ってありませんでした。
授業中、寝ていたら叱られていたし、質問に応えられなければ叱られました。
授業を聞いていないことは悪であり、授業を理解できないことも悪でした。そして叱られることは恥でした。
でも今は違うんですよね。もちろん公共性については認める。だから授業の邪魔はしない。
しかしその授業中に、何を考えようが、何をやろうが、それについては自由だろう?と考える傾向があるんです。
だから授業を聞かないは「自由」である。理解できないのは「よく分からない話」である。
分からなくて叱られることは「先生の無礼」である。という感じになってしまうのです。
もちろん、全ての子がそうだとはぼくも思いません。しかし、その割合はこれから年々増えていくんじゃないかな。
教育が変わる
これは子どもたちの質の問題じゃないんですよね。子どもたちの教育への意味が変わってきたんですよ。だからぼくらの従来の考え方、教育の前提そのものを真っ白にして考えなきゃいけない。そう思いますよ。
実際、ぼくの授業では一部の子たちにおいて大きく変えています。彼らがそれを手放せないのであれば、むしろライン投稿を授業に活かしていこうと試みてます。
「試験範囲は?」
「えっと…分からない…」
「じゃ、ラインで皆に聞きましょう」
という流れで投稿すれば1分で解決します。
これは昔なかったメリット。
そんな風にそのツールを含めた授業、これを模索していくしかないですねぇ。
だって、子どもたちの世界にぼくが飛び込まなくちゃ、この先の授業って形骸化していきます。
それにそういった子たちの場合、このような流れで進めた方がいい方向に向かっていきます。
かれらは建前なしで本音で会話しますし、そういった中でいつまでも変わらない感覚がもあることもお互いに分かります。
まぁそんな子たちでも、ぼくの授業でブルブルとスマホがなると、手にとるのは気がひけるみたいです。
すべての価値基準が変わったわけではない。面白いですね。
ただこの価値観が徐々に一般化していくことは間違いないと思います。