家庭教師はいらないんだ。仲介役がいるんだ。

誤解を恐れず言えば、ヒントを与えないとか…そういうことではなくて、「教えよう」という考えそのものを頭から消してしまう。それがぼくが考える授業のツボになります。


家庭教師はいらないんだ。仲介役がいるんだ。

8年目の感想
「先生って変わらないですね。」
エイ君がニコニコ笑いながらぼくに言いました。
「そう?変わったじゃない。
 ほら…結婚したし、
 子どものいるし…
 腰痛もちにもなった。」
大事そうに腰を撫でるぼくに
「いや、いや、いや。変わりませんよ。
 雰囲気やテンションが全く変わらない。
 ときどき同じ歳に感じることもありますよ。」
一瞬ぼくの脳裏に『それは大人としての何かが欠落しているのではないか?』と思いましたが、エイ君の笑顔が善意に満ちあふれていたので、それでいいのだ、とバカボンのパパ風に決め込みました。
余談だけれど、
エイ君と授業を開始したのは、小学4年生のころ。
それから中学、高校とずっと一緒に勉強をしています。その間、エイ君は東京都内を2回ほど引越しして、その度にぼくは引越先の家にお邪魔しています。ご主人とは授業外でお酒を飲んだりしています。
話を戻します。
でエイ君がこう言いました。
「でも先生の授業は変わりましたよね。」
「あぁ、たしかに変わったね。」
「昔は必死に教える感じだったけれど、
 今はゆっくり。ほんわか。」
また一瞬『ぼくの授業が雑になってきた?』と思いましたが、これについては『いや、そうじゃない。ぼくが役目をよく分かってきたんだ。』と改めました。
「昔はちょっとズレていたんだよね。
 分かりやすく教えることが使命、
 としか思えなかった。」
「そうなんですか?」
「そう、そう。ぼくも若かったね。」
と申し訳なさそうに言いました。
教えなくてもいい
「結局は、一番いいお手伝いが大切って思いなおしたんだよね。」
とぼくはウムウムと噛みしめるように言いました。
そしてつい先日まで本棚でじっとしていたエイ君の英語参考書を手にして、つづけて言いました。
「たとえばね。
 英語の構文が分からないとするじゃない?
 昔は、それを分かりやすく板書して、
 説明することが授業と思っていたんだ。」
「うん」
「でもね。今はちがう。
 この学校で以前に配布された英語参考書を開くことが
 重要だと思っているんだよね。
 それは専門外の英語だからじゃなくて、数学でも同じ。」
「知ってても、教えないんですか?」
「うん。たとえ専門の数学であってもね。
 大切なのは判断や知識の根拠となるものを
 そこで互いに確認しあうこと。
 そして言葉を交わすこと。
 その中で分からない箇所があれば解説する。
 そういったやり方が、
 結局は一番成果に結びつつくんだよね。」
ぼくのお手伝いは、1冊の参考書を軸に学校・塾で学ぶ授業を整理していくこと、と話しました。
もし個人的に教える人を家庭教師と呼ぶのなら、ぼくはすでにエイ君の家庭教師ではないのかもしれません。ただのおしゃべりなおじさんにしか過ぎない。でもいいんです。
眠っていた分厚い参考書と友だちになる仲介役。
本当に必要なのはその役だと思うのです。
それをぼくがかってでて、それでエイ君の可能性がさらに広がったのであれば、教えることの云々はあまりに小さすぎる。そう思うのです。