分かりやすく教えるより謎を与えること。

分かりやすく教えることが、必ずしも「分かる」わけではないなぁと思います。本当に分かることというのは「子ども自身の中で解決すること」にあるのではないか、と思い始めました。

「分かりやすく教えます。」

これまで、この言葉を私はたくさん目にしてきました。そして私自身もこのサイトで使っていました。しかし近ごろ、分かりやすく教えることが、学ぶ上での弊害になっているのではないかと思うようになりました。

分かりやすく説明しても食いつきが悪い子もいまして。話を聞いていないというか…なかなか伝わらない。それでちょっと「分かりやすく教えること」を止めました。

謎を与えてみた

そこで子どもたちが喰らいつきそうな謎をポン!と与えたのです。そこから子どもと問答するなかで、本質に迫るような授業にかえました。ぼくは「教えること」を一時封印したのです。

これは勇気がいりました。
ぼくが口頭で説明すれば、たった2分ですむこと。それを本人が導いて、私に理由を説明するとなれば15分は必要だったりします。こんな悠長なことをでいいものだろうか…不安はありましたが、ものは試しとやってみました。この授業の結果はどうだったか。

子どもは考えることが好き

この授業は成功でした。ほとんどの子どもたちが笑顔になりました。

「楽しかった!」

と感想をくれました。そして嬉しいことに、ほとんどの子の理解度があがったのです。自身の力でたどり着いた本質というのは、そう簡単に消えません。結果、問題の演習数は少なく、学習理解の定着がいいものとなりました。

教え手と受け手の違い

子どもたちにしっかり学ばせるためには、分かりやすく教えることを念頭におくよりも、子どもの興味関心を引きつけることを重視した方がいいのでしょう。

それは難しいことのように見えますが、ちょっと好奇心を刺激する何かがあればいいのです。ひとつ刺激が与えられると、あとは子供たち自身でグングン道を歩んでいくと思います。