宿題をしなかった息子がいいたかったこと

自分の時間を守るって大事なこと。日常のあれこれに振り回されていると、そのようなことを忘れがちになります。ある朝に起こった息子VSぼく&ヨメの話です。

今朝、登校直前に息子(小4)が慌てて宿題をやっていて「昨日、あんなに時間があったのに、なんでやってなかったんだ?」と一端の親のようなことをぼくが言ったら、息子はすごく不機嫌になりました。シマッタ…失敗した、とぼく。するとそれを聞いたヨメが

「やるべきことをやらないで、どうして遊んでいたの?」

と息子にいう。ここで彼は、ごめんなさい、と謝るのがいつもの流れなんだけど、今朝は違いました。

かちんときた息子

彼は謝るどころか、応戦してきたのです。
ぼくに対してならまだしも、口論不敗のヨメを含めて対抗するのだから驚き。言語表現力が乏しい彼がです。

しかし義は親にあり。どう考えても、彼は分が悪いです。
彼は言い分を発しながらも、30秒もしないうちに窮地へ追い込まれ、結局、少し涙目で肩を落としながら登校する羽目になりました。

彼の言いぶん

その彼がいなくなったあと。
ぼくは、親が振りかざした義に対して、彼が必死で振り回した「いい分」について整理してみた。

彼は宿題をしたくないからしなかったわけではなく「1日の許容量」をオーバーする宿題に対して、怒り心頭で「今はしない」を選んだだけ。もし彼が自由に言葉を操ることがきるのなら

「ドリル1ページならまだしも、教科書の問題も宿題に出すのはどういうことだ!これじゃこの日の「ぼくの時間」がないじゃないか!」

となるはず。言い分はシンプルです。

「親の義」は過去の再生

しかし親という立場(いや、もう生き物といっていい)は厄介なもので、「でもね」で続けて義を掲げる。

やるべきことがあるとか、勉強だからとか…今、こうパチパチと自分で打ちながら、なんとも情けない義なんだと溜息が出ます。そして心に潜む小学生の自分が

「君は30年前に言われたことを、ただ再生しているだけじゃないか」

とボソと余計なことを言います。痛いところを突きます。

あぁなんでこんな義を振り回したんだろう。自分の時間を守るって生きていく上で一番大切じゃないか。

毎日、ヨメとぼくは息子が創った建築物や装置や動画をこっそりみては、そのセンスの良さに驚きそして嫉妬している。もう、若い獅子は、新しい時代をガンガンと切り開いているのです。

この子の才能が、昭和生まれの親の価値観に潰されないことを、今はただ願うばかりです。

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