3月から4月は出逢いと別れの時期です。でも昔と比べるとそれは実感しにくいです。教え子たちは「ラインがあるよね」「すぐメールするからね」とぼくに話してくれます。そう、ぼくらは今やテクノロジーで繋がることができる。悲しいのは嫌だ?でもそうとは言えないよ。
涙の卒業式にさよなら
中学を卒業した教え子がぼくへぼんやりと呟きました。
「卒業したんだけど、卒業って気がしない」
想像していた卒業のイメージとだいぶズレている様子。話を聞いてみました。卒業式で涙したんだけど。でもまたラインで会話したり…遊んだり…。何か日常ががらりと変わるわけではなく。
「こんなもんなの?」
うーん…ぼくも懐かしき昭和と比較するのですが、たぶん今って時間に対する考え方が変わってきたかな。
「もう別れがない時代だよね」
じつはこの教え子、小学校からあしかけ4年教えてきて中学卒業を機に、ぼくとの授業は終わるんです。それでぼくと会う予定はなくなります。教えてきた時間を想うと、そりゃ別れは辛いです。
でも別れという感じじゃない。お休みする感じ。どうして?
別れを感じさせないテクノロジー
そこにあるのはテクノロジーです。昭和にはなかったインターネット社会。これが人と人とを常に繋いでくれる。だから切ろうという意思がない限り、切れることはありません。
これって教え子たちにとってみれば別れ=悲しみを抱かせないツールです。誰とでもいつまでも繋がっていられる。だから大丈夫って。
「でもね…」
とこのオジさんは言ってしまう。
「別れがない社会も善し悪しだよ」
教え子の顔に影。傷つけるつもりはないです。誤解を与えずに、言いたいことはいわないと。
「別れが変えることもある。ほら高校デビューとか。過去の友達が周りにいたらできないよね。別れにもいい部分はあるんだよ」
するとナルホド…と納得してもらえて。そしてもう1ついいたいことがあると。
別れは人との時間の価値を高めてくれる
なんと言えばいいんだろう…。今、テクノロジーによってずっと繋がっている安心感があるんです。だから人と過す「その時間」の価値を感じさせにくい。いつでも会っているようなものだからです。
これは以前かいた記事ともリンクする話ですが、やっぱり別れってどこにでもあると思います。別れは時間を区切ることで、時間を帯ではなくブロックとして捉えられます。これのブロックが「時間の価値」を生み出すと思うんですね。
卒業式で歌った「あおげば尊し」がずっと耳に残る。ただの歌なのに、心に刻まれる。別れがそこになければこそ、そこに時間の価値が生まれます。
あんまりいい過ぎると良くないですね。だから、教え子たちにはこれからもラインで繋がることを踏まえながら、こんなことも話しています。
だから今を大事にしなよ。
次にまた会えると思って、楽観視しちゃだめ。「もう二度とこの時は来ない…もしかしたら二度と会えないかもしれない…」と想ってみてもいいじゃない。するとその瞬間が大切なものになる。
その瞬間の別れを大事にする。常に。
これが未来を生きる教え子たちへのぼくのアドバイスです。