マイクラの真の教育価値

教えている子たちは、平日習い事でいっぱいで、その習い事の合間にゲームをします。そのゲームのなかで人気なのが「マインクラフト」です。

ぼくが雑談のなかで教え子たちに「マイクラで何をやっているの?」尋ねると

「建築です。家をつくってます」
「家畜を育ててます」
「洞窟を探検しています」

とみんな嬉しそうに答えてくれます。

制作した浜辺の家

「いいよね。楽しいよね」
「先生もやっているんですか?」
「たまに子どもに誘われて、ワールドに入る程度だけどね」
「えぇ!意外です」

ぼくのマイクラレベルは初心者級。大したことないです。ただ息子が小学校の夏の自由工作で「マイクラで小学校」を建築したとき、ガッツリと制作をサポートしました。

息子が小学4年生の時にマイクラで作った小学校

そのときぼくもマイクラの魅力と可能性を知ることができました。マイクラ愛好家の教え子がぼくに言いました。

「先生からママに言ってくださいよ」
「何を?」
「マイクラはただのゲームではないって」
「ははは!それ、難しいお願いだな」

でもマイクラはただのゲームではないのは確かです。少なからずぼくが子どもの頃に触れたゲームとは全く異なります。

いやこれはゲームというより「貴重な擬似体験学習ツール」だと思います。

家をつくったり、畑を耕したり、家畜を育てたり。木にも種類があり、石にも種類があります。それらの素材を集めて、組み合わせて生活する。

マイクラにある何百種類もの素材。組み合わせて利用。

それを全てバーチャルでやる。まさに貴重な擬似体験学習。そう捉えると、マインクラフトって有益なものにも思えてきます。

ただぼくはこのゲームの素晴らしさ、教育的な価値を全く別のところに感じています。

このゲームには目的や成果がありません。勝ち負けがないのです。何をするかはその人次第。つまりこれは、究極の放任状態なんですね。

その放任状態の中で、「さぁ何をしようか」と自分の気持ちで行動を起こす。

そこに「純粋な意味での自己決定」が存在します。このゲームの真の価値はこれです。

その自己決定は社会生活を送る上でもっとも重要な行為ですが、実は今の子たちって自分で考えて行動することがとても苦手です。

その苦手になってしまった背景には、多くの教育システムが道を用意していて自己決定をする機会が奪ってしまっていることにあると思います。これはぼく自身も反省するべき点です。

そういう中でこのマインクラフトは、この自己決定の機会を常に与えてくれます。その決定について、誰の目も気にしなくていい。だから安心して失敗もできるし、工夫もできます。自己決定の道場といっていいでしょう。

お子さんが何か建物をつくっていたら、覗いてみてください。そして

「楽しそうに何をつくっているの?」

と声をかけてください。その後に、無理に褒めなくていいので、せめて笑ってあげてください。

子どもたちは自己決定の連続を、周りの人から肯定してもらうことでもっと強く成長します。