15年前の3・11から得たぼくの教訓

とても当たり前のことを胸に刻みました。

手帳のカレンダーの11日をみて、あっと思うと頭の中で「26年−11年」を計算をした。

「そうか、もう15年なのか」

11年3月11日、東北大震災。ヨメさんのお腹の中にカナがいたので、その当時のことをよく覚えている。


その日、ぼくは表参道に住むTくんの授業を終えて、地下鉄・表参道駅の半蔵門園ホームにいた。

14時50分前。突然、床が揺れはじめた。

これまで体験したことのない揺れだった。

『来るぞ!』

そう思った瞬間に床が大きく揺れた。立つことが難しくて、すぐにしゃがんだ。あたりから悲鳴が聞こえた。

地下にいてはまずいかな…

そう思って外に出ようとしたら、狭い通路を人々が一気に雪崩れ込んだ。

ちょっとしたパニック状態。慌ててその流れに乗らないように通路の脇に止まった。

駅構内でアナウンスがあった。地下鉄は止まった。

安全確認が取れたら、すぐに運転を再開するだろう。

ヨメさんから「大丈夫?」というメールがガラケーに届いた。うん。その後に「大変なことになっている」というメールが続いた。

津波警報が発表されたらしい。

ヨメさんはすぐに保育園まで自転車を走らせて息子を迎えにいった。

ぼくは駅構内に止まった。

文庫本を読みながら、運転の再開をまった。その日の後の授業はキャンセルにした。

駅にいる人々から津波が大変なことになっていると聞こえてきた。

それで2時間ぐらい駅に留まっていた。


運転再開の見込みがない。それでぼくは5時ごろ歩いて帰ることにした。

車は大渋滞。大勢の人たちが移動した。会社員の人たちや大学生たちは、友達とワイワイおしゃべりしながら歩いていた。でもその声は不安を紛らわせているようでもあった。

そうそう、自転車屋は大いに儲かっていた。その場でぱんぱん売れていく。「買ったあとどうするんだろう?」とぼくは不思議がった。

ルートはこんな感じだと思う。

外苑のいちょう並木を通った。夜に都営地下鉄(三田線)の駅を通ると「運転再開です」というアナウンスが聞こえた。

ルート計算でいけば2時間半らしい。そのとき、かなりゆっくりペースだったので3時間半ぐらいかかった。

家族と再会した。

ヨメさんと息子とお腹の子とやっと会えて、心からホッとした。

住んでいたマンションには、壁にクラックが入っていた。「ここは住めない」ということで、翌月に引越しした。


この日のことを何度も思い返します。

そしてあの体験で学んだことを自分に言い聞かせます。

「大切なものから手を離してはいけない。」

これからもずっとそう思います。