子供の問題を「変化のきっかけ」にする

北風と太陽の話です。

「えぇそうなの!!」と私。
「先生、ひどいでしょ。」
「そのショックは分かるよ。」
今回成績が落ちてしまい親からゲームを取り上げられたと子供が言いました。

「先生もそういうことあったの?」

私は暗い表情で言いました。
試験の点数が悪くて、1ヶ月ゲーム禁止になったこと。
あれは酷かった…と肩を落しながら。すると子供はいいました。

「親の立場で取り上げるのってオカシイですよね。」

むむ…。少し私は考えました。

「いや、おかしくはない。
 これはごく普通のことだよ。」

■親の強制力

子供からすれば、試験結果で関係のないゲームに響くことが
どうも納得がいかないということでしょう。

気持ちは分かります。でも親の強制力ってあるんです。
これはアレコレ言っても仕方ない。
それにすこし探ってみると、これは強制力の問題ではなかったりします。

「お母さんは試験の結果次第で
 ゲームを取り上げるといったの?」
「そう。」
「なるほど。
 で、それに君は同意したのかな?」
「はい…」
「じゃ約束だったのだから仕方ない。」

残念なのですが、約束は約束です。
私にはどうしようもありません。
ただ彼はどうもゲームが取り上げられたことが
ショックのようでした。

■ではどうする?

そこで私はこれはいい学習の機会だと思いこの子に提案をしてみました。

「じゃあさ。
 ゲームを取り戻すにはどうすればいいか、
 ちょっと考えてみてはどうだろう?」

私はこんなことを言いました。

約束の内容はどうあれ約束してしまったことについて、それをどうこうはいえない。

だったら考えを変える。
それをできるだけ早く返してもらう方法を、今、考えてみればいい。

「頼み込むとかですか?」

私は首を横に振り
イソップ物語の北風と太陽の話をしました。

■太陽になる

人間のコートをとるために
北風は風をビュービューと吹いた。
人間のコートはとれない。
太陽はポカポカと日光を人間にとどけた。
人間は体が温まり自らコートをとった。

その中に解決のヒントがあると言いました。
「太陽になるんですね。」
私はにっこり笑いました。
「お母さんがゲームを返したくなる状況を
 これから君が作ればいいんだよ。」
彼は何かを感じ取ってくれたようです。

■変化のきっかけ

このあと彼がどのような計画で
ゲームを取り戻すのか?私はとても楽しみです。
彼の中にあった強制力という問題。

これに拘っても変化は起こりません。
問題は強制力が発生した原因にあるのです。
なぜこのような状況になったのか?ということでしょう。

親の立場になって考えれば、ゲームを取り戻すことなんてそう難しいことではないのかもしれません。

解決手段は結構単純です。

<変化のきっかけを与える。>

私は子供とのやり取りの中で、
とても大切なことと思っています。

指導法を掲載する。その心のカラクリはリンゴの種だった。

■指導法を広めようと思った訳
笑わないと約束してほしい。
私がこれから書くことが、
どんなに可笑しいことであっても、
あなたにはじっとそれを我慢してほしい。
指導法のブログにて、
指導法を掲載しようと思った訳
それを私はここで説明する。
以前笑われた心の傷はまだチクチク痛むが、
これをちゃんと話さないと何も始まらない。
できる限り忠実に書くつもりだ。
しっかり口に手をあてて、笑い息を殺して読んでもらいたい。
■ヒーローがいた。
小学校の頃。
私には「心のヒーロー」がいた。
アニメの聖闘士星矢ではなく、
ドラゴンクエストの勇者でもない。
誰も知らないヒーローだ。
何かのコラムでそれを知り、
私は名前と彼のやった業績をメモにとり、
それをじっと自宅の机の引き出しに入れていた。
そして、私はそのヒーローをみんなに伝える機会を得た。
「私がなりたい職業」
そんな作文の機会だ。
私は心にずっと留めていたそのヒーローを、
みんなに告白することにした。
それは一人の少年にとって大変な決断だった。
私はザラ紙の作文用紙に、
短くなった黒いトンボ印の鉛筆でその想いを書き綴った。
茶色い紙の下敷きはその圧力で深く凹み、
赤い筋肉マン消しゴムは紙上に消し汚れを残した。
出来上がった作文用紙。
そこには確かにヒーローがいた。
■皆に打ち明けた。
発表当日。
お花屋さんや、パイロット。
ちょっと運動神経がいい子は野球選手。
そんな中で、ついに私の発表の出番が来た。
生唾が喉を通った。
私は教卓の前に立ち、みんなの顔を確認した。
ポケットからシワシワになった作文用紙を取り出し、
ゆっくりと広げた。
そして・・・私は1行目を読んだ。
「僕はジョニーアップルシードになりたい」
みんな、ハッとした。
私は読み続けた。
■熱く語ったジョニー
「ジョニーは西部開拓時代の英雄です。
彼はいろんなところを歩いて、りんごの種を皆に配りました。
そして農業の方法を人々に教えました。
だからジョニーアップルシードのアップルはリンゴで、シードは種です・・・」
私は改行が一切ない作文マスを一つ一つ丁寧に読んだ。
みんな真剣にじっと聞いていた。
そして最後の行を私は目で追って、声にだした。
「だから僕はジョニーになりたい。」
私は読みきった。
作文はとっても苦手だったが、
ジョニーの情熱はそれを上回った。
私は充実していた。この上ない喜びに満ち溢れていた。
教室を照らした日の光は15ワットほど明るくなった。
ただし。
それは一本の手が挙がるまでの話だ。
「質問があります!」
一本の細い手が挙がった。
■0%の悲劇
一本の手の持ち主は言った。
「ジョニーにはなれないと思います。
 なぜなら、ジョニーは人だからです。
 職業ではありません。」
一瞬で目の前が闇と化した。
つまり彼は私に高校生で学習する確率の話をしたのだ。
ジョニーは職業ではない。
ゆえにその職につけるのは0%だ。
私が彼に反論できる余地も、併せて0%だった。
私は顔を真っ赤にして下をうつむいた。
そして心の中で反論した。
『職業じゃないんだ。
 ジョニーなんだ・・・
 リンゴを配ったジョニー。
 彼になりたかったんだ。』
そして二度とジョニーのことを口にしなくなった。
非現実的なその夢は0%だったからだ。
■四半世紀後にその意味が分かる
それから時は20年以上すぎた。
私は東京・四谷の丸の内線のホームに立っていた。
目の前には小さな緑色の広告があった。
何の広告かは覚えていない。
しかし、そのとき、分かった。
「そうか指導法を掲載するワケは、
 ジョニーに近づきたいからなんだ。」
この指導法をブログで掲載し、
算数や数学を教える立場の人たちに伝えている。
どうしてこれに喜びを感じるのか?
それは自分の指導法が「小さな種」と感じているからだろう。
もちろんこれは完全な種ではないし、
上手く育つかどうか分からない。
でも種を配り続けていれば、きっと誰か育ててくれる。
もし実れば私が教えられる数倍、数百倍もの多くの子どもたちがリンゴを口にできる。
それが嬉しい。
私にとって、これがジョニーなのだ。
たぶん20数年前のその想いは、
心の奥底でじっと眠っていたのだろう。
あのグチャグチャニ丸めた作文用紙が、
今でも私の目には焼きついている。
そしてあの頃の自分に、いってやりたい。
「君は実現0%の扉をこじ開けた」
■笑い話でも構わない。
ここまで読んで下さった方、ありがとうございました。
「いい歳して子どもの頃の憧れが、
 今になって出てきただけなのか?」
となんとも呆れる話でしょう。
でもそれでも良いじゃないかと思っています。
今、私はこうやって笑い話にできるぐらい、
その喜びを感じています。
それでいいんじゃないかと思うのです。