覚える公式はできるだけ少なくする。

僕の授業はできる限り覚えることを少なくしています。結果的に応用も利くためそうさせています。具体的にどういったものか簡単に説明します。
■具体例
ここに計算方法1つ、公式4つがあります。
【一般的な数学で覚えること】

多項式の計算
(x+a)(y+b)=xy+bx+ay+ab

乗法公式
・(x+a)(x+b)=x2+(a+b)x+ab
・(x+a)2=x2+2ax+a2
・(x-a)2=x2-2ax+a2
・(x+a)(x-a)=x2-a2

この公式は中学3年生で学校でも塾でも暗記させます。
これが苦手な子を専門指導する僕の授業だとこうなります。
【みかん先生の数学で覚えること】

・(x+a)(y+b)の展開イメージする。
・2つのカッコに同じ項があれば特別になる。

覚えることを2つまで減らしています。
数学が苦手な子は、多くの公式や解法を覚えると解き方の混乱が起こります。このように覚えることを少なくすることで、記憶の負担を減らしています。

必ずイメージで導入する。苦手な子への教え方

苦手な子へのイメージを使った学びについて簡単に説明します。
その前に、まずはよくある学習形式を説明した後に、僕が行う図で教える方法(図式)を説明します。
■1-1.よくある学習形式【式を見せる】
まず、子ども(学習者)に問題を見せます。
そして子どもなりに仮説を立てるはずです。

そしてこのあとで計算手続きを教えます。

しかしこれでは子どもは納得できません。
なぜなら、明らかな自分なりの仮説があったからです。
そこでみかん先生の教え方をご紹介します。


■2-1.図式のアプローチ【図から出発】
図式では、はじめに図(イメージ)を与えます。
イメージ確認が、何よりも大切だと考えているからです。
そして次に
「この図を分数の式で表現してみよう。」
と子どもに出題します。
イメージから数が、算数数学の第一歩です。
■2-2.図式のアプローチ【図から式へ】

そして子どもが図(イメージ)を分数で表現します。
ここで初めて未知の分数のたし算を、
目で確かめます。
もちろん、
「5分の2になるんじゃないか?」
という予測もありです。
子ども達の自由な発想を、
ここで押さえつけるようなことはしません。
■2-3.図式のアプローチ【式から図へ】
そしてこの式の答を探るために、
ここで、もう一度、図にもどってみるように促します。
なぜならたし算の本質的な意味を、
この図で確認できるからです。
「2つをたしたら、結構、いっぱいになる!」
これに気づけば、
「5分の2という答は違うなぁ・・・」
と検討がつきます。
そしてなぜ、答が分からないのか?
本質的な課題に直面します。
「2つの目盛が違うから、
 どのくらいになるのか分からないのか」
と小さな発見をします。
大人からみれば当たり前のこと。
しかしこの気づきこそが、分数の要なのです。
■2-4.図式のアプローチ【本質理解を得る】
目盛が違うから分からない・・・
ここまでくれば、
「目盛がそろえればい い」
という発想が出てくるのは時間の問題です。
まずは、自分で図に目盛をふる。
そして本当にその目盛であっているのか、
何度も自分で確認します。
このようなたった数秒の確認行為が
「本質理解」を手に入れるのです。
■2-5.図式のアプローチ【方法を知らずに導く】
目盛が合ったところで、
今度は図を式で表現します。
ここで現れる式は、通分された式です。
答も図を使って、方法を知らぬままにできました。
この
「方法を知らずにできた」
という経験が大切です。
その経験の後、初めて「通分」の話が生きてきます。
(通分のアプローチは省略します)
■2-6.僕のアプローチ【算数力の理想】
“通分”とは「方法」
“目盛を合せる”とは「理解」
これらが2つあって始めて算数力は身につきます。
そしてお気づきの方もいるかもしれません。これまでのアプローチは、「概念」「理解」「方法」すべてを踏まえています。こういったことが「算数力の理想」になるのです。

このアプローチは概念→理解→方法という流れをしっかり組んでいるのです。
だから子どもも無理なく方法を吸収できます。
けっして方法の一方通行ではない。
概念から、理解。そして方法へと進む。
図で考えるとは、傍からみれば無駄な寄り道のような気がします。
しかし理想的な算数(数学)の歩み方なのです。
■3.図式の由来【※補足】
私が唱えている「図式」とは、このアプローチの重要な箇所、図から式にすすむ過程、を表しています。
概念の確認は、子どもに教える上でもっとも重要なことです。
それを肝に銘じるために、図式、と呼んでいます。

21日ぶりの休日。ゆっくり朝寝坊。

ずいぶんと久しぶりに朝寝坊をしました。
普段は息子ナオの保育園の見送りがあるので、寝坊は厳禁。
また、このところ日曜日も授業に出ていたので、週末もいつもどおり。
このところちょっと疲れていましたが、
10時ごろまで寝てしっかり疲れがとれました。
8時間も寝たのは本当に久しぶりでした。

叱るが少ない時代。柿を盗んで、誉められた話

社会全体が怒ることは多くなっても、叱ることってずいぶん減った気がします。
もしかしたら今の子どもたちは<叱る>という漢字自体、読めなくなってきているんじゃないでしょうか。叱る行為が減ってきて、漢字自体に馴染みがない気がするのです。
僕の勝手な考えですが、今、社会全体が叱るべきところを、怒ることで事態の収束させてる気がします。フッと沸き起こった感情を怒りとして露わにする。なんだか叱ることと怒ることの違いの境界線が、どうも曖昧な気がするのです。
■叱る、怒るの違い
まとめているコーチング法でじっくり書こうかと思っていたのですが、思ったことはさっさとここで書いてしまいますね。怒ると叱るって改めて書くとこういうことです。
怒るとは、相手に対して根底から沸き起こる怒りを露わにすることです。これは極めて個人的なアクションで、相手にぶつける事が目的です。怒る側の気がすむことがゴールです。
一方、叱るは何か?
叱るとは、相手の行為に対して冷静に指摘することです。これは相手の為のアクションで、相手が反省し改めることが目的です。相手に「期待」を伝えることがゴールです。
そういわれてみると、確かにそうだと思う方もいるはずです。
■叱るは人類の技術
叱るなんてずいぶんと古臭いような行為ですが、それは全く違うでしょう。怒ることは人間以外の動物同士でもできます。互いに威嚇しあったりしますよね。あれです。
しかし叱ることは、人間にしかできない行為です。しかも期待がベースにありこれは大変に高度です。そしていい叱られ方をすると、気持ちよいそよ風が吹くものです。怒りにはそよ風はありません。
■柿を盗んだ
ヨメさんのお父さん(義理の父親)から聞いた柿泥棒の話です。
昔、近所の友達と自分の兄と5人で、柿を盗みにいったそうです。自分の兄は木の上に登り、下に友達と4人に柿を振る落とすという作戦です。柿の木の下に作戦を実行しはじめたら
「誰だ!柿を盗むのは!」
と柿の持ち主に見つかりました。一斉に、木の下にいた友達は逃げ出しました。しかし幼いお父さんは動けませんでした。柿の木に登っている兄を置いていく事はできなかったからです。
柿の木から動けだせない兄弟が。柿の木の持ち主は恐ろしい顔をしてやってきました。ものすごく怒られると思ったそうです。しかし意外でした。
「柿を盗むのは悪いことだが、お前らは逃げなかった。
 逃げなかったのはとても偉い。だからお前らに柿をくれよう。」
兄弟でたくさんの柿を貰ったそうです。
■いい叱りは思い出となる。
このエピソードを聞いてあなたは、いい話だと思ったはずでしょう。盗む行為は叱られたけれど、逃げなかったことはしっかりと誉めています。
もしこれが柿を盗んで、叱られた!という結末だったらどうでしょう?
義理のお父さんの思い出とは残らなかったはずです。そして僕もここでこのエピソードを書くことはなかったでしょう。そうなんですね。いい叱りは心に懐かしい思い出として刻まれるのです。そして人の温かさや寛大さは、人を勇気づけるものです。
いい叱り方について、また、書きたいとおもいます。

出来ないが出来るように!じゃない。教える心得。

「出来ないことを、出来るようにさせる!」
教えることってそういうことと思っていました。
でも近頃、そうではないと思うのです。
「出来ることを広げる。」
これなんですよね。
例えばこういうことです。
二桁の割り算ができないから、出来るようにさせる!

ではなく
一桁の割り算が出来たから、二桁の割り算まで出来ることを広げる。

どちらも新しくできることが増えるわけですから、結局は同じですよね。
でも違うんです。2つは根本的に異なることだと思うのです。

板書は写さず、ポイントを書き留める。ノート術。

ノート術を教えることはとても難しいです。
情報をどのように整理するか?というより以前に、
情報をどうとらえるか?という感覚がまず必要だからです。
ノートの機能は
・写す(メモする)。
・まとめる。
・解く。
・検索する。

というものがありますが、これをちゃんと理解できる子そういません。
クラスに1人か2人かぐらいだと思います。
■2つの機能を使うT君
弟子にしてくれと言ったT君は、1年ぐらい前からノートのとり方がドンドン上手くなってきました。特に化学はうまいですね。ルーズリーフと普通のノートの使い分けもよく出来ています。
メモするか?
まとめるか?
という2つの視点たち、そしてどの情報をキャッチしてどの情報を捨てるのか?そこも分かっています。
■化学を聞く。メモする。
今、T君の学校の化学の先生が、ほとんど板書を書かないらしく、教科書に載っていないことをドンドン口頭ではなすそうです。黒板をメモ代わりにペラペラと書くのですが、これがクラスメイトから大不評。
試験で何が出るのかを話してくれない。
というのが殆どの意見だそうです。しかしT君、なかなか面白い男です。
「化学の先生、最高なんですよ。
 教科書に載っていることなんて言わずに、
 そこには載らない大切なことを話すんです。
 それをぼーっと聞いていて、
 書き留めるべきところだけノートに走り書きしています。
 板書を映させる先生って駄目ですね。
 あれってただの作業です。」
彼は何とも厳しいことを言うのですが、これは良くわかっている証拠ですね。

弟子になりたい!と言い出した教え子。弟子は僕だ。

どうやればうまく教えられるの?
と教え子から聞かれました。高校3年生、彼は大学生になったら家庭教師をやりたいそうです。どのように会話するのか?どのように教えるのか?そんなノウハウを僕から教えてもらいたい、というのです。
「君は十分に家庭教師はできるよ。僕が教えることはほとんどない。」
と言いました。
■具体的な技術を伝授した
「どの教科を学習に着手すべきか?」
たとえばこのような学習戦略の「実施項目の選定」で、彼にはいろいろと教えました。
まずはリストアップ法です。
やるべき学習をひとまとまりごとに並べて、上から下へリスト化するものです。終われば消す、それだけ。極めて単純な方法。これは中学生ぐらいからでもできます。
また、ペイオフマトリックス
これは何をすれば効果が上がるか?生産性に着目し図で表現したものです。効果のないことは徹底的にしない、という視点で考えることを彼に教えました。少し大人な考えです。
そしてウォント法
そして理性で考えるのではなく、本心に聞け!。「今、一番したい教科」を挙げてそれを短時間で一気にやるのです。イヤイヤながらやっても意味がない。いっそのこと一番やりたいことをやれば学習効果が高いという考え方です。
彼は色の使い方も十分熟知しています。
なぜ、3色以上使うといけないのか?まとめるときのレイアウトの基本。そして推移をつかった説明。ここで挙げると書ききれませんが、僕が実施していることの基本を、彼はすでにマスターしています。
■そして弟子は僕だ。
そんな偉そうなことを言っているけれど、本当のことを言えば家庭教師の指導法を僕に教えてくれたのは彼だったりするのです。
彼の何気ない意見や考え。それを僕が聞いて「なるほど!」と思うことも多く、コミュニケーションをしながら互いに解決方向へ向かうというスタンスをとってきた僕にとって、彼は僕の弟子でありつつ先生でもあるのです。
あえて僕が彼に最高の技術を伝えるなら、
「弟子から学べ。」

だとおもいますね。僕自身がことを解決するのではなく、結局のところ彼自身が自分で考えて決断し、そして前に進んできました。それは紛れもない事実。だったら彼が教える立場になった時、同じことをすればいいんです。目の前にいる彼の教え子が<最高の師匠>なのですから。

学校はこんな場所であってほしい。

「へぇ〜こんな問題も出来るようになったんだ。
 なんか、かんか言って、成長しているんだねぇ。」
というようなことを正直に僕が感心していたら、
教え子から
「ねぇ!そうでしょ!
 そう言ってくれるのは先生だけだよ。
 学校の先生は、こんなのも分からないのか!だもん。
 ほんとやる気なくすよ…」
と答えてくれました。
確かに質問に言って開口一番「こんなのも!」と言われたらやる気はなくなりますね。
学校ってなんだろうって思いますよ。
学校は親にとっては「学ばせる」義務だけれど、
子どもにとっては「褒められる場所」であってほしいですね。
だってそうじゃないですか。夕飯時の会話で、
「ねぇママ。今日、僕は5回も褒められたんだ!
 お掃除が上手だねぇって言われたし、
 返事がハキハキしているって褒められたし、
 算数の問題の質問に行ったら、
 向学心あふれているね!って褒められたんだ!
 あぁ褒められすぎて困っちゃったよ!
 明日もたくさん褒められるかなぁ〜」

という言葉を聞きたいですよ。
あぁこの子は学校が好きなんだな。
ドンドンいいことをしたいんだなって。
そんなに褒めてくれる学校の先生に出会いたいものです。