子どもの「良さ」を最大限に生かす授業。
数年前までの僕の授業の良し悪しは、算数数学の学習全体として何が一番いいか?でした。でもここ2~3年は大きく変わりました。その子にとってベストな授業に取り組みだしたのです。
7割の正解率が指導の基本型。コーチングメモ。
どんなに算数や数学が苦手であっても、7割の正解率を維持させる。これは指導の基本なのですが、一応、書いておくことにしました。
覚える公式はできるだけ少なくする。
僕の授業はできる限り覚えることを少なくしています。結果的に応用も利くためそうさせています。具体的にどういったものか簡単に説明します。
■具体例
ここに計算方法1つ、公式4つがあります。
【一般的な数学で覚えること】
多項式の計算
(x+a)(y+b)=xy+bx+ay+ab
乗法公式
・(x+a)(x+b)=x2+(a+b)x+ab
・(x+a)2=x2+2ax+a2
・(x-a)2=x2-2ax+a2
・(x+a)(x-a)=x2-a2
この公式は中学3年生で学校でも塾でも暗記させます。
これが苦手な子を専門指導する僕の授業だとこうなります。
【みかん先生の数学で覚えること】
・(x+a)(y+b)の展開イメージする。
・2つのカッコに同じ項があれば特別になる。
覚えることを2つまで減らしています。
数学が苦手な子は、多くの公式や解法を覚えると解き方の混乱が起こります。このように覚えることを少なくすることで、記憶の負担を減らしています。
必ずイメージで導入する。苦手な子への教え方
苦手な子へのイメージを使った学びについて簡単に説明します。
その前に、まずはよくある学習形式を説明した後に、僕が行う図で教える方法(図式)を説明します。
■1-1.よくある学習形式【式を見せる】
まず、子ども(学習者)に問題を見せます。
そして子どもなりに仮説を立てるはずです。
そしてこのあとで計算手続きを教えます。
しかしこれでは子どもは納得できません。
なぜなら、明らかな自分なりの仮説があったからです。
そこでみかん先生の教え方をご紹介します。
■2-1.図式のアプローチ【図から出発】
図式では、はじめに図(イメージ)を与えます。
イメージ確認が、何よりも大切だと考えているからです。
そして次に
「この図を分数の式で表現してみよう。」
と子どもに出題します。
イメージから数が、算数数学の第一歩です。
■2-2.図式のアプローチ【図から式へ】
そして子どもが図(イメージ)を分数で表現します。
ここで初めて未知の分数のたし算を、
目で確かめます。
もちろん、
「5分の2になるんじゃないか?」
という予測もありです。
子ども達の自由な発想を、
ここで押さえつけるようなことはしません。
■2-3.図式のアプローチ【式から図へ】
そしてこの式の答を探るために、
ここで、もう一度、図にもどってみるように促します。
なぜならたし算の本質的な意味を、
この図で確認できるからです。
「2つをたしたら、結構、いっぱいになる!」
これに気づけば、
「5分の2という答は違うなぁ・・・」
と検討がつきます。
そしてなぜ、答が分からないのか?
本質的な課題に直面します。
「2つの目盛が違うから、
どのくらいになるのか分からないのか」
と小さな発見をします。
大人からみれば当たり前のこと。
しかしこの気づきこそが、分数の要なのです。
■2-4.図式のアプローチ【本質理解を得る】
目盛が違うから分からない・・・
ここまでくれば、
「目盛がそろえればい い」
という発想が出てくるのは時間の問題です。
まずは、自分で図に目盛をふる。
そして本当にその目盛であっているのか、
何度も自分で確認します。
このようなたった数秒の確認行為が
「本質理解」を手に入れるのです。
■2-5.図式のアプローチ【方法を知らずに導く】
目盛が合ったところで、
今度は図を式で表現します。
ここで現れる式は、通分された式です。
答も図を使って、方法を知らぬままにできました。
この
「方法を知らずにできた」
という経験が大切です。
その経験の後、初めて「通分」の話が生きてきます。
(通分のアプローチは省略します)
■2-6.僕のアプローチ【算数力の理想】
“通分”とは「方法」
“目盛を合せる”とは「理解」
これらが2つあって始めて算数力は身につきます。
そしてお気づきの方もいるかもしれません。これまでのアプローチは、「概念」「理解」「方法」すべてを踏まえています。こういったことが「算数力の理想」になるのです。
このアプローチは概念→理解→方法という流れをしっかり組んでいるのです。
だから子どもも無理なく方法を吸収できます。
けっして方法の一方通行ではない。
概念から、理解。そして方法へと進む。
図で考えるとは、傍からみれば無駄な寄り道のような気がします。
しかし理想的な算数(数学)の歩み方なのです。
■3.図式の由来【※補足】
私が唱えている「図式」とは、このアプローチの重要な箇所、図から式にすすむ過程、を表しています。
概念の確認は、子どもに教える上でもっとも重要なことです。
それを肝に銘じるために、図式、と呼んでいます。
21日ぶりの休日。ゆっくり朝寝坊。
ずいぶんと久しぶりに朝寝坊をしました。
普段は息子ナオの保育園の見送りがあるので、寝坊は厳禁。
また、このところ日曜日も授業に出ていたので、週末もいつもどおり。
このところちょっと疲れていましたが、
10時ごろまで寝てしっかり疲れがとれました。
8時間も寝たのは本当に久しぶりでした。
叱るが少ない時代。柿を盗んで、誉められた話
社会全体が怒ることは多くなっても、叱ることってずいぶん減った気がします。
もしかしたら今の子どもたちは<叱る>という漢字自体、読めなくなってきているんじゃないでしょうか。叱る行為が減ってきて、漢字自体に馴染みがない気がするのです。
僕の勝手な考えですが、今、社会全体が叱るべきところを、怒ることで事態の収束させてる気がします。フッと沸き起こった感情を怒りとして露わにする。なんだか叱ることと怒ることの違いの境界線が、どうも曖昧な気がするのです。
■叱る、怒るの違い
まとめているコーチング法でじっくり書こうかと思っていたのですが、思ったことはさっさとここで書いてしまいますね。怒ると叱るって改めて書くとこういうことです。
怒るとは、相手に対して根底から沸き起こる怒りを露わにすることです。これは極めて個人的なアクションで、相手にぶつける事が目的です。怒る側の気がすむことがゴールです。
一方、叱るは何か?
叱るとは、相手の行為に対して冷静に指摘することです。これは相手の為のアクションで、相手が反省し改めることが目的です。相手に「期待」を伝えることがゴールです。
そういわれてみると、確かにそうだと思う方もいるはずです。
■叱るは人類の技術
叱るなんてずいぶんと古臭いような行為ですが、それは全く違うでしょう。怒ることは人間以外の動物同士でもできます。互いに威嚇しあったりしますよね。あれです。
しかし叱ることは、人間にしかできない行為です。しかも期待がベースにありこれは大変に高度です。そしていい叱られ方をすると、気持ちよいそよ風が吹くものです。怒りにはそよ風はありません。
■柿を盗んだ
ヨメさんのお父さん(義理の父親)から聞いた柿泥棒の話です。
昔、近所の友達と自分の兄と5人で、柿を盗みにいったそうです。自分の兄は木の上に登り、下に友達と4人に柿を振る落とすという作戦です。柿の木の下に作戦を実行しはじめたら
「誰だ!柿を盗むのは!」
と柿の持ち主に見つかりました。一斉に、木の下にいた友達は逃げ出しました。しかし幼いお父さんは動けませんでした。柿の木に登っている兄を置いていく事はできなかったからです。
柿の木から動けだせない兄弟が。柿の木の持ち主は恐ろしい顔をしてやってきました。ものすごく怒られると思ったそうです。しかし意外でした。
「柿を盗むのは悪いことだが、お前らは逃げなかった。
逃げなかったのはとても偉い。だからお前らに柿をくれよう。」
兄弟でたくさんの柿を貰ったそうです。
■いい叱りは思い出となる。
このエピソードを聞いてあなたは、いい話だと思ったはずでしょう。盗む行為は叱られたけれど、逃げなかったことはしっかりと誉めています。
もしこれが柿を盗んで、叱られた!という結末だったらどうでしょう?
義理のお父さんの思い出とは残らなかったはずです。そして僕もここでこのエピソードを書くことはなかったでしょう。そうなんですね。いい叱りは心に懐かしい思い出として刻まれるのです。そして人の温かさや寛大さは、人を勇気づけるものです。
いい叱り方について、また、書きたいとおもいます。
親の願い込めるべき?シンプルな僕の名づけ。
8月に産まれる娘のために名前を考え中ですが、わが家は名づけが拘りなく単純です。わが子の名前だから親の願いを!というわけではないちょっと今や変わった名づけ方。
シンクの上の戸棚に何が?価値観が生んだ収納。
世の中にはどうも理解できないことがあります。
「ご家庭のシンクの上戸棚に、何が入っているか?」
ふつうはキッチン関係の食料保存品とか、キッチン器具などが入るものですが、わが家では少し違う。 “シンクの上の戸棚に何が?価値観が生んだ収納。” の続きを読む
出来ないが出来るように!じゃない。教える心得。
「出来ないことを、出来るようにさせる!」
教えることってそういうことと思っていました。
でも近頃、そうではないと思うのです。
「出来ることを広げる。」
これなんですよね。
例えばこういうことです。
二桁の割り算ができないから、出来るようにさせる!
ではなく
一桁の割り算が出来たから、二桁の割り算まで出来ることを広げる。
どちらも新しくできることが増えるわけですから、結局は同じですよね。
でも違うんです。2つは根本的に異なることだと思うのです。
板書は写さず、ポイントを書き留める。ノート術。
ノート術を教えることはとても難しいです。
情報をどのように整理するか?というより以前に、
情報をどうとらえるか?という感覚がまず必要だからです。
ノートの機能は
・写す(メモする)。
・まとめる。
・解く。
・検索する。
というものがありますが、これをちゃんと理解できる子そういません。
クラスに1人か2人かぐらいだと思います。
■2つの機能を使うT君
弟子にしてくれと言ったT君は、1年ぐらい前からノートのとり方がドンドン上手くなってきました。特に化学はうまいですね。ルーズリーフと普通のノートの使い分けもよく出来ています。
メモするか?
まとめるか?
という2つの視点たち、そしてどの情報をキャッチしてどの情報を捨てるのか?そこも分かっています。
■化学を聞く。メモする。
今、T君の学校の化学の先生が、ほとんど板書を書かないらしく、教科書に載っていないことをドンドン口頭ではなすそうです。黒板をメモ代わりにペラペラと書くのですが、これがクラスメイトから大不評。
試験で何が出るのかを話してくれない。
というのが殆どの意見だそうです。しかしT君、なかなか面白い男です。
「化学の先生、最高なんですよ。
教科書に載っていることなんて言わずに、
そこには載らない大切なことを話すんです。
それをぼーっと聞いていて、
書き留めるべきところだけノートに走り書きしています。
板書を映させる先生って駄目ですね。
あれってただの作業です。」
彼は何とも厳しいことを言うのですが、これは良くわかっている証拠ですね。