子どもコーチングなんて書いていても、自分自身の息子の関わり方が冷静かと言うとそうではありません。だから客観的な指摘はやっぱり嬉しいもの。初めての保育参加で分かった息子への関わり方の課題を書きました。
“パパさん保育”いいですか?
息子が保育園に通いだした昨年の春。
毎月の通信プリントを見ていた僕は、“ママさん保育”という言葉に目をとめました。それは1日だけ保護者が保育園で園児たちと一緒にすごすイベントのよう。
僕は目をキラキラさせて、パパも参加できないのですか?と園に問い合わせてみました。すると『出来ますよ』嬉しい回答。ただ、
「ごめんなさい。このイベントは2歳児クラスからなんですよ。ナオ君は1歳児クラスなので、来年ですね。」
という残念な回答も併せて頂きました。それから指をくわえて待つこと1年。
毎月、イベント告知が載っていないか通信プリントをチェックして、とうとうこのイベント参加の機会を僕は手に入れたのです。
ベテラン保育士からの指摘
念願のパパさん保育は朝からお昼まで。短い時間ですが一生懸命に園児たちと遊びました。一緒に食事を終えて、パパさん保育終了。あっという間の楽しいひと時、僕はとっても満足でした。
そして最後に保育士と2者面談。実はこれが僕の人生初の<息子に関する先生との面談>。そして女性保育士のT先生(仮名)の口から出たのは意外な指摘でした。
「お父さん、ナオ君の会話をとってますよ。」
えっ…僕は目を丸くしました。
「僕がナオの会話をですか?」
「はい。他の子が話そうとしているのを、お父さんがとっているんです。」
それ誤解じゃないかな。
僕は一度も息子の会話を遮ったことはないし…そっそれに、他の園児との会話も僕が他の園児と話したもの。それは僕の会話であって、息子の会話じゃない。そう思ったのです。ただその時、僕の中でもうひとつの声が聞こえてきました。
『僕の行動にそう受け止められる面があったのでは?』
『結果的に息子の会話をとることがあったのでは?』
ちょっと振り返ってみたのです。
自分以外の立場でその流れ
そのときに会話の流れを自分でイメージしてみました。まずは僕の視線から。
【僕の視線】
『僕が立っていて、横に息子がいる。園児がパタパタとやってくる、僕の方に。「おはよう」と僕は声をかける。「おはよう」と園児が応える。』
僕からの視点では園児は僕の方やって来ました。
今度はそれを見ている保育士の視線に置き換えてみました。
【保育士の視線】
『パパが立っていて、横に息子が見える。園児がパタパタと、2人へ向かっていく。「おはよう」とパパが言う。「おはよう」と園児が応える。』
保育士の視線では、僕と息子が同時に見えています。主役な立場で会話をしているのに対して、保育士の視線ではかなり客観的です。そしてさらに園児の視線で想像してみました。
【園児の視点】
『大きな人と小さな人がいる。そっちに向かっていこう。大きな人が「おはよう」という。見上げると笑っているパパ(男性)。「おはよう」と応える。』
これをイメージした時、初めて気付きました。自分が大変な勘違いをしていることに。
大きな存在が小さな存在を消す。
その勘違いとは、園児は僕に挨拶するためにきたのではない、ということです。ただ、大きな人と小さな人がいたから、その存在に反応して歩いてきた。
そして大きな人が話しかけてきた。だからそれに反応した。ということは、園児の頭の中から、小さな人の存在は消えているんでしょうね。
僕は園児たちより体が大きい。目立つ存在です。
そんな僕が息子より先に挨拶を交わすと、園児の視界から息子はいなくなります。僕は自然に息子の会話をとっていたんです。
これにはとても反省しました。本来、率先して挨拶すべきなのは息子であって、僕はオマケでいいんですよね。
その後、3歩退いてみた。
この保育参加を機会に、園の中で僕の意識が少し変わりました。送り際は息子が率先して他の子と挨拶を交わすまで、前に出ないこと。
保育士の先生や園児との会話においても、主役を息子にすること。当然ですよね。すると少し息子ナオの変化も見えてきました。(それはまた書きたいです。)