入学後の学校への後悔について、僕の学生時代の経験を交えて教え子と話をしました。それを記事にまとめてみました。
「大学に入学したあと、後悔しないかな?」
大学受験をする男の子I君が僕に尋ねました。それはこのようなことでした。毎日、必至に勉強をしてやっと合格通知つかんだでも、入学したら『こんなはずじゃなかった・・・』と後悔があるんじゃないか?と。
それまで彼は、受験する大学に足を運んで、キャンパスの様子や住むべく街の雰囲気など、しっかり下調べをしてました。僕はそんなに調べた<先々の後悔>を考えている彼に少し驚きました。こんな質問を受けたことがなかったので一瞬戸惑ったのですが、僕は正直に言いました。
「おそらく多少の後悔はあるよ。」
■夢と現実の差
彼に話しました。
「どうしても外からでは分からないところはあるからね。それは大学内部のことだけではなく、その分野について想い描いていた夢と現実のギャップもある。そこに戸惑うところはあるはずだよ。」
遠慮なしの僕に彼は、やっぱり…と苦笑い。
でも言いたかったのはこの後のことです。
「その後悔は、単なる理想と現実の違いに過ぎないよ。それって避けて通れない問題だし、その壁もさらなる進展への課題だと思うよ。」
僕は自分の理想と現実のギャップが、さらなる成長の理想と思っています。新天地の名に相応しく、その中で新しい自分を開拓していく。若い間に対応すべき経験を重ねることは、得はあっても損はないと思うのです。絶対に。
しかし後悔がもとで、退学というケースも少なくはありません。そういった事態を避ける方法にまで彼との会話は及びました。
■学校価値が重要じゃないか?
僕の考えはとても当たり前のことです。
その学校に入学するまでに支払った苦労が、結果的に“自分の学校の価値”を決める。
その自分の学校価値の高低で、後悔の存在は小さくなるし、学校を辞めるためにいい足かせとなってくれる。
例えば、行きたくないのにそこにしか合格できなかったから・・・だと、やっぱり自分の中の学校価値は低くなります。あの学校へ行っていれば~という後ろめたさがある。そうなると、目の前のものが悪くしか見えなくなるんですね。
しかし、行きたかった学校は多くのものが肯定的に見えます。講義や友人など1つ1つの場面場面が、大きな苦労の上にある、と全てを肯定的に感じるものです。
また、多くの苦労を支払った学校は、退学をさけられます。折角苦労して入ったんだから・・・という気持ちが強く働くからです。
■つまりその苦労は無駄じゃない。
というわけで、後悔の話になりましたが、まとめると実に単純な話です。
後悔は、苦労で限りなく小さく出来る。
苦労して入ったのに、こんな学校だったなんて!あぁ後悔した!という場合もあります。でもそれはリサーチに対しての苦労が足りなかったともいえます。
まぁ受験生の方々には、どんどん苦労をして学校価値を高めてもらいたいものです。
それは無駄ではないのですから。
日南線の車窓:僕が5歳のころ遊んだ線路と続く特別な線路。乗客はめっきり減ってしまったけど、思い出はずっとそのままです。