そこは出会う場所—ぼくが残した3つ目の言葉

子どもにかける“正しいかけ言葉”なんてない中、そのときどきの“ぼくなりの想い”を言葉で表しています。受験を控えた教え子へ最後の授業、そこでかけたぼくの言葉はとても受験らしくはなかったけど、それでもそれを伝えたかったんです。


■最後の板書、なにを残そうか

カリカリとペンを走らせる教え子の横で、ぼくはルーズリーフの半分を使ってグラフを見ていました。

「はいここまでで15分。どう?」
「えっと…8問とけました。」
「いいテンポだよ。そのテンポを覚えてね。」

ぼくは板書の中のグラフをRさんにみせて確認してもらいました。Rさんは少しホッとした表情。

中学受験生の最後の授業。このころぼくが新しく教えることはありません。試験の進め方をチェックして、試験中に慌てないような判断のポイントを確認するだけ。

ただそんな教えない授業でも、板書は存在します。それが2年間つづいた最後の授業の板書なら感慨深いものがあります。何か言葉を残してあげたい。

試験中に役立つような言葉を。こんなとき、他の算数を教える先生はどんなことを書くのだろう?

必勝!
君ならできる!

成せば成る。

子どもの心を奮闘させるような言葉を書くんだろうな…合格を目的としてやってきたのだから、それは当然の言葉です。でもぼくはそんな言葉を書きたくない。

■3つ目のことば

グラフの横にスペースが空いていたので、ぼくは緑の色えんぴつを使って黒板の絵を描きました。
そして試験中に思い出して欲しい1つ目の言葉をかきました。

◯いつものように解く。

これはどこの塾でも言っていることです。とても大切なことなので最初に書きました。
そして次に2つ目の言葉を書きました。

◯変わったことが起こっても、気にしない。

これは試験当日にとり乱す子がいるかもしれないけれど、それはよく起こることだから気にしないということ。

これもそう変わった言葉ではありません。ごく普通です。そして最後の3つめの言葉…ぼくはいろんな想いを巡らせました。

この長い間、2人で必死に…いや、和気あいあいとした雰囲気で算数のサポートをしてきたのはどうしてだろう。それはなにを目指していていたのだろう。

それを『合格』なんて二文字で片付けたくはない。向かっていたのはその向こう側なんだよな…。子どもが置かれている状況。ぼくは自分が試験会場に1人で中学受験に挑む様子をイメージしました。

それは大変なプレッシャーで、知らない場所で、知らない人ばかりで、とても不安な状況。
そして考えました。

『そこに仲間はいない……のか?』

するとふっと答がわき起こりぼくはすぐに3つ目の言葉を書きくわえました。

◯そこにいる「新しいの友だち」を感じて。

ずいぶん受験らしくない言葉だったけれど。

■ワクワクして欲しいんだよね。

「新しい友だち」を最後の言葉にえらんだぼくはノー天気というか、甘ちゃんと思われるしれません。でもいいんです。ぼくは、必死にとか、絶対とか、そういった受験ワードってなんかうさん臭さを感じているから使いたくない。
それよりワクワクして欲しい。
『今1人に見えるけれど、そこには新しい友だちがいるんだ。わたしもここで友だちになりたい!』と感じる。もちろんそこにはご縁があるけれど、そういった期待感を持って新しい世界に飛び込むことって大切なことじゃないかな。
ぼくはそう思います。