救いの場保健室に求め[先生は今]

救いの場を求める教師が後をたたない。
保健室登校は生徒たちだけでなく、先生たちにもある。
教育の形を考えてしまいます。


【朝日新聞・10年07月22日】

■教師-病気休職8578人
こんなに多くの教師たちが休職になっているのか?
と驚きました。

教師の病気休職が止まらない。
人数は毎年過去最多を更新し、文部科学省の直近の調査では8578人(2008年度)。うつ病や適応障害といった精神疾患はその6割強、5400人を数え、10年前の3.15倍に達している。
《記事より抜粋》

この10年間で3.15倍というのは、大変な数字です。
10年で激変したのは生徒たちだけではなく、
現場の業務、保護者などいろいろとあるかと思います。
その中で保健室登校というキーワード。
保健室登校は生徒たちにあるのではなく、学校教師にもありえるのです。
■教師生活は高速道路50センチ
教員に採用されたその年のある教師のメモが紹介されていました。

「高速道路を時速100キロで走行中に、50センチ後ろを同じ速さでピタッとついてこられるような毎日」
ついてくるのは職員室全体の仕事の速度だ。自分に併走してくれているが、スピードは緩まず、後ろから急かされているような圧迫を感じる。速度を上げたいが、これ以上アクセルを踏み込めない。
《記事より抜粋》

これを読んだ教師たちは「全くその通りだ」と納得するでしょう。
教師の友人に現場のことを聞いたら、
「問題は授業以外の仕事なんだよね。
 僕のような小さな学校では、
 一人の先生がいくつもの仕事を掛け持ちする。
 本当に大変だよ・・・。」
と心境を話してくれました。
■理想と現実の狭間で呼吸する
教育現場において理想と現実の両方が存在する。
これは今に始まったことではないとおもいます。
ずっとずっと昔からあった。
しかし現在、このように休職に追い込まれている状況がある。
その原因は、
そんな悩める時間と悩める仲間が寄り添う空間すらも、
与えられなかったことではないでしょうか?
つらさをはき出す場があれば、結果はかわったかもしれない。
そんな重いから「(仮)センセの放課後」を作った。あたまに「(仮)」とつけたのは、本来職員室にこそ放課後があってほしい、という思いからだ。
「私は悩んでいる。」
とそれを共有しあうことに、教育現場の発展があると思います。
悩みの中に、現場の問題点が潜んでいて、
その向こう側に理想への抜け道があるからです。
ですから生徒たちがいない空間で、
教師同士が飾りなく会話できることは必要なことだと思います。