何かを始めるのに遅い早いはない

心がけているつもりでも、なかなかできないのは「始めること」。始められない理由に「そんなに簡単なものではないから」という思い込みがあります。でも始めるのは簡単だったりします。そんな話です。

さきほど、ヨメが古文書のレポートを書いていました。思案してはカリカリと書き、思案してはカリカリと書く。グニャグニャの古い崩した筆文字が、少しずつ現代語に翻訳さていくのは、ほんと不思議な気分です。

ヨメが古文書を学び始めてもう1年ほど。最初はどうだったっけ?と過去の日記を探っていたら、その時のことをしっかり書いていました。

「古文書を読めるようになりたい」
昔からヨメが歴史博物館へ行く度に、言ってまして。人が翻訳したものを読むのではなく、自分で歴史資料を直に読み、昔の人の声を彼らの文字を通して聞きてみたいとか。ただ、あの蛇のような字を読める様になるには、誰かに習わないといけないだろう…時間も多く必要だな…その度に思ってました。

でも先日。
やってみないと、どんなもんか分からないと思いまして、古文書の初心者用の本を図書館で借りて、ヨメに渡してみました。すると2日目で読み出す。

「漢字は読める。推論もできるし。でも仮名はまだダメ。形を暗記しないと。また古文の勉強もいるし、儒学も…」

とヨメ。
今朝も出勤前に、文久3年の農村の申立て(盗賊から身を守る為に鉄砲100丁を持たせてくれといった内容)を朗読してました。何かを始めるのに早い遅いはないようです。

(2017年11月の個人的な日記より抜粋)

ヨメが古文書をはじめるきっかけを作ったのが、ぼくであったことを少し忘れていました。「やってみたらー」のおせっかいだったのでしょう。

この2017年からあと、ヨメは古文書の本を読み終えて、数ヶ月後に仕事を続けながらできる「NHKの古文書講座」を受講。今、その講座に送るレポートを書いては、その添削楽しみにしています。

人の変化って面白いと思います。2017年の10月の時点では、1年後に自分が古文書を読んでいる姿なんて想像きませんでした。ちょっとした変化で、その未来は大きく変わっていきます。ヨメも楽しく充実しています。何かを始めるのに早い遅いはないと思いました。

 

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