「教科研究を重ねれば重ねるほど、理想と遠くなる」
現役中学教師の手作りプリントを見て、
とても感心しつつも・・・おしい・・・と思いました。
■授業熱心な自作プリント
公立中学にて授業支援をさせてもらってから、
教えている子供たちが、
学校でどんな授業を受けているのか?
さらに関心が高まりました。
子どもたちのノートや問題集をみたり、
また話を聞いたりする中で授業の全体像は把握できます。
それ以上に特に関心が高いのが、
先生たちが作る自作プリントです。
研究熱心な先生方は、
自分でプリントを作っています。
そんな中、子供たちが
「関数のところ先生と教え方が似ていたんだよ」
といって持ってきたプリントがありました。
■よく研究している先生
その先生のプリントをみて、
「この先生はよく研究しているな」
と私も感心しました。
プリントは全て手描き。
紙はザラ紙だったのですが、
プリントには先生の情熱が詰まっていました。
私よりも2回りぐらい年上の先生らしく、
この情熱でこれまで授業をされてきたのか!
と私はとても感心しました。
ただプリントを見てすぐに感じました。
「これだと響かない」
響かないというのは、
プリントには授業の弦の張りの要素が必要です。
その先生のプリントにはそれがありませんでした。
実際に、子供たちに授業の様子を聞いてみたら、
先生が言われたとおりに枠に文字を入れていく感じ・・
という応えが返ってきました。
■響く授業は難しい
授業プランを作成しながら、
この響きあう授業と言うものの難しさを痛感します。
私のプランもまだまだ発展途上。
全ての子供たちのハートに届いているとはいえません。
ただ自作プリントを作っている立場として、
このプリントで陥りやすい罠というのがあります。
それは・・・「穴埋めプリント」
先生が言ったことをドンドン穴埋めしていくものです。
先生はこの罠にはまっていたのです。
■穴埋めの罠
授業を進行していくなかで、
この知識の要素は穴埋め形式をとるのは定番です。
教科研究を始めると、
いろんなことをプリントに盛り込みたくなります。
すべての要素が重要に見えてくるんですね。
これは教科書線引き現象と同じです。
大切なところに線を引きなさい、といわれると、
言葉言葉をドンドンつなぎたくなる・・・
全てが大切に感じてしまうのです。
この穴埋め形式は授業は単調になり、
大きなまとまりが見えなくなります。
だから私は極力使わない方向で出来ないか、
いつも思案しています。
■理想は「排除」ではないか?
穴埋め形式についてグダグダ書いていますが、
要は教科研究を進めると理想に走ってしまいます。
いろんなことを教えなければならない。
しかし、私は全てを完全に教えきることが、
理想的な授業ではないと思います。
むしろ私が考えているのは逆です。
知識的な要素を極限まで排除し、
シンプルな論理のみがそこにある。
言葉では表わせない心的イメージが感じられる。
そんな授業が理想ではないか?と思います。
プリントにはいろんな役目があります。
穴埋め知識のもの以上に、
私たちが知らない授業を司る要素が、
プリントの中にあると思います。