2月末のある日、僕とヨメは部屋をウロウロして落ち着かない。その日は1年前からずっと願っていた“ある連絡日”だったのです。
ソワソワした日
僕はその日、気持ちが全く落ち着きませんでした。
ヨメも時計ばかりを気にして、度々、携帯電話を手にしては着信はなかったかチェックしていました。
時計は午後3時。
時間はあと…残り2時間です。
「電話、来ないね…」
「うん…音はオンにしてる?」
それぞれの携帯電話の着信音を、互いにチェック。大丈夫。バッテリーも十分。電波も3本柱が合っている。僕たちはこの日、一本の電話で連絡を待っていました。
それは“保育園の入園連絡”。これが僕たちの行く末を大きく変える運命の電話でした。
わが家の事情
こんなこと、このブログで書くことじゃないのかもしれないけど。でもやっぱり書いもいいかなぁと思って書き出しています。
7月に生まれた娘をゆっくり育てをしながら仕事をしたい。それが僕ら夫婦の希望でした。しかし東京でその生活が始まると、それがどれほど難しいことかすぐに分かりました。
僕もヨメもフリーで仕事を請け負う身。日常のワークは自宅になってます。0歳児の娘がいる今、日中は娘を背負ったり、揺らしたり、ミルクをあげながら、その一方で仕事をする。それが今の現状です。でも…これがとても難しい。
2人とも毎日、互いのスケジュールを念密に確認しながら、2人とも分単位で動いています。夫(僕)も家事の50%をやるがわが家の掟。「おいどんは、薩摩ん男じゃっで、台所には立たん!」なんて南九州出身の僕も寝ぼけたことは言えません。(仮に言ったところで何にも物事は解決しない)
それでも2人とも満足に仕事ができるはずはなく。僕もヨメも仕事を大幅セーブして。当然、年収もダウン…。
娘はスクスクと育っていたはものの、その生活スタイルは難しいと夫婦で認めざるをえない。だから手を借りれるのなら借りたい。そこで昨年の暮れに入園の申し込みに至りました。
電話が来ない
もう夕方の4時にさしかかったとき、僕は地下鉄に乗っていました。度々、携帯電話を覗いても着信の形跡すらはありません。
『4月入園が出来なければ、次のチャンスは来年か…』
気持ちはダウン。残り1時間になって僕は諦めていました。
『ナオと同じ保育園しか希望しなかったのが敗因か…』
保育園に入れなかったことを悔やむ、悔やむ、悔やむ。あぁ、ダメダダメダ。
なるようにしかならないんだから!と自分を言い聞かせて、どのように気持ちを切り替えていけばいいか?それを考えはじめていました。
そのとき…ヨメからメールありました。
「これが○○保育園、●●組のアイドルだ!」
一体、どういうこと?
保育園入園
これを読んだ僕は、電車の中で思わず、えぇ!と驚きの声。ナンダ?という周りの視線に気づかず、すぐに「入園連絡きたの?」とメールすると、16時過ぎに電話がありました、とすぐに返信がありました。
1人僕の目の前がふわぁ〜と明るくなってました。ずっとずっと悩ませていた育児の問題がスーッと頭の中で軽くなりました。でも残念なことに、時間が経つとこの通知の中に一抹の寂しさも感じはじめました。
『娘と過ごす時間が短くなるんだよなぁ』
息子のナオは1歳で保育園に連れて行ったけれど、娘は0歳から保育園に行くことになりました。ナオの時のような成長の瞬間を見れるチャンスは失われることは間違いありません。
0歳から1歳って振り回されることも、案外、楽しいものだったよな。本当は振り回されたいそんな僕の中の矛盾した気持ちもありました。理想と現実。楽しさと大変さ。子どもを育てることって親の思い通りにはいかないものです。
ヨメの落書き:イラストレーターのヨメが描いた仕事中のらくがき。無意識に困らせる娘の可愛い姿を描いていました。