その人の問題は、その人でなきゃ解決できない。

肝に銘じていたはずなのに、すっかり忘れていた…。そう身の回りにあるその人の問題の解決策、それはその人自身の手の中にあるってね。こりゃ反省文だな。


その人の問題は、
その人でなきゃ解決できない。
ずっと気をつけていたはずだった。
でもつい、ぼくの悪い癖が出てね。
やっていることは、
問題解決行為じゃなくて
単なる迷惑行為。
あれ…むむ?
よく考えよ…
と思って立ち止まったら、
大間違いをしていた。
気づいたときは、
すごいロスをしていた。
また肝に銘じるつもりで、書いてみます。
子ども自身の問題解決について、
僕らが手出しをしてはいけない。
と書くと、
「そうだね。
 子どもに解決させなきゃね。」
と思うかもしれないけれど、
ちょっとちがう。
たとえ最高の解決法が
自分自身の手の中にあっても
それは同じです。
解決法があるのに
教えないだって?!
でもね、誤解がある。
仮に、
それを解決方法として発表しても、
それは行使されない。
むしろ人はそこから遠ざかる。
「ふーん…そうだよね。」
で終了する。
分かりやすい例が…
「はぁ〜勉強しなきゃヤバい!」
と言いながら、
テレビをぼんやり見ている子ども。
録画すれば済む話で、
勉強すればいいだけなのに、
でもしない。
試験前日になって
ヤバい!と言いながらやる。
そして赤点パターン…。
これって誰の目からみても
深刻な問題として存在し、
早急な対応が必要であると思われます。
そう、1人を除いて。
だから問題は繰返されます。
どうしてそれが起こるのだろう?
これはぼくの考えなんだけれど、
当事者は現状に戸惑っているだけ
なんじゃないのかな。
あるいは悩んでいる、のか。
解決すべき問題として
まだ存在はしてはない。
だから問題が浮き上がるのは試験前日となるのです。
そんなわけで
ぼくの手にある解決策は
ちっとも意味がない。
ぼくにやれること?
唯一できるのは、
グラフや表を書いて
本人の中から浮かび上がる問題の
認知速度を早めることぐらい。
そして本人から具体策を聞くことぐらい。
最後に、それでどうなったか聞くぐらい。
いつもこのことを考えると、
自分ができることの少なさを
思い知らされます。
【反省文終了】