これだけ社会が大きく変わると子どもに学ばせるべきものを考えます。よくある国際社会に通じる“英会話゛とかはその例でしょう。ぼくは世間で広がりつつある“考える技術”をわが子に身につけて欲しいです。
“考える技術”について
■将来、子どもに役立つお習い事とはある?
ぼくは幼児の習い事についてあまり興味がありません。
幼児英会話とかのチラシを見ても『やるべきことかな?』と考えると『まっ必要ないな』と行きつく。
この世の中に『絶対にやるべきおならいごと』なんてないとは思っているのですが…。とにかくそういうわけで、今のところわが息子(4才)や娘(1才)に何かをお習いごとをする予定はありません。
しかし、そんなぼくでも「これは生きていく上で大切なことだから、早い段階で子どもにも身につけさせたい」と考えているものがあります。ちょっとお習い事とは違いますが、それは“クリティカル・シンキング”です。
■考える技術「クリティカルシンキング」
このクリティカルシンキングとは、いうなれば論理的に物事をあつかい正しい答を求める思考技術です。これはわが子に身につけて欲しいですね。支持する理由は1つです。
それは、考えることが「当然かつ重要な行為」だから。
水泳・英会話などはある状況で用いる技術です。海やプールがあって水泳はできますし、英会話は英語を話す人がいてできます。これらはいつもは使われません。
しかし“考える”行為は毎日起こります。
ぼくたちは朝起きてから、夜寝るまで色んな状況で考えて、そして決めます。その考えるの範疇はとても些細なことから、人生を左右する重大事項にまで及びます。
(ちょっと大げさですが)その考えた上での決断の連続が、ぼくらの人生をつくっているはずです。生きる限り逃れることもできませんし。そんなわけで、子どもには考えることを決して疎かにしてほしくはないのです。
ちなみに欧米の企業では読み・書き・算盤+CT(クリティカルシンキング)といわれるほどCTを重要視しているそうです。日本の場合、教育から知識型に偏っているため認知すらされておらず、よって大手企業のなかには考える技術の研修に多額の資金を投入して教育しているとか。すごい話です。
■子育て観とリンクしているのかも
ぼくの子育ての考えは「子どもは授かり物ではなく、預かりもの」というもの。
いつの日か、それはぼくが想像するよりもそう遠くない日に息子や娘は1人で歩き出さなきゃなりません。そのとき親が持たせてあげられるキビダンゴって何だろう?なんて考えると、ぼくは「愛情」と「考える習慣」だと思うのですよね。
近ごろはクリティカルシンキングを軸に考える力をさらに伸ばすために、どんな授業を実施すべきか?そんなことばかり考えています。
わが子:お調子者の息子としっかり者の娘。この2人、寅さんみたいな兄妹になる気がしてなりません。