習熟度別授業の成果とは?

特集記事「いま、先生は」朝日新聞(10年07月21日)。教員が教員を追い込んでしまうのか…そこに制度の難しさを感じました。今「教師評価」そのものを評価べき時期にたっているのかもしれません。
【朝日新聞・10年07月21日】

校長の権限強化はいいのか?

制度の問題点は1例2例だけで評価できません。授業の数値目標や評価は、もしかしたら先生たちの良さを潰している可能性もあります。この教師評価の記事において、学校経営計画のことで東京都のある区立小学校の話がありました。

校長から次年度の学校経営計画の方針が示された。冒頭に掲げられたのは「体育学習の充実」。体育は、校長が一線の教師時代に力を入れてきた「得意教科」だ。
例年より早く、移動希望を出す前の時期に示された方針。女性教師(53)歳は同僚とそっと話した。「意に沿わない人は出て行けということね」《記事より抜粋》

学校経営計画のは、校長に一任されているんですね。私はもっと民主的なものなのかと想像していました。教師側から提案するのは、なかなか難しいのか?それは校長によるのか。

想いは届かないのか

この教師について、記事でもう少し詳しく載っていました。

この教師は、教材研究だけは手を抜きたくないと睡眠を3、4時に削り、途中で眠らないよう、立ったまま丸付けをした。
教師生活30年間続け、定年まであと8年。「この先続けていけるだろうか。」そう考えるうち、気持ちは次第に「やめて後悔しないか」ではなく、「続けたら後悔しないか」に傾いていく。退職の希望を出したのは、翌09年の1月半ば、奨励退職の締切りの日だった。《記事より抜粋》

読んだ時なんとも言えない気持ちになりました。まず教材研究に手を抜きたくない!と使命感あふれる先生は、教育現場で貴重な存在でしょう。次世代に活かせる指導技術があるからです。

若い先生方にもその背中を見たり、指導技術を伝承したり。目標になります。必要なのは評価システムではなく、そんな想いを持つ存在価値を見抜くことだと思います。この先生の貴重さを見抜けなかったのは、惜しくてなりません。

教育の器を考える

先生を一面的に見て評価を付けるということは、その先生たち自身もその器に収めることです。すると、その器に入った先生たちは、今度は生徒たちを評価の器に入れるようになります。

グローバル社会になり、価値観が多様化する現在。自分の価値基準をしっかりもち、いろんな価値観を尊重するすることが大切だと思います。つまり教育の器を広げることがこれからの教育課題な気がします。

しかし授業評価は何かの指針にあてはめる方向性です。これからの時代に逆行していると思います。この授業評価のシステムは、もう一考が必要だと私は思います。