子どもに物を買い与えないわが家の子育て。そんな中、飲食店で息子へ厳しい試練のときがやってきました。買わないだけでも我慢がいるのに・・・神がナオに与えた更なる試練のエピソードです。
「幸せセット(仮名)はいかが?」
店頭のカウンター、20代半ばの女性店員さんがわずかな東北訛りで僕に提案しました。
「玩具もついていますよ。」
店員さんがカウンターメニューを指差しました。そこには彼が大好きな電車の玩具。
「お父さん、電車だね!」
つま先立ちでカウンターを覗くナオが、メニューの電車に目を輝かせながら僕に言いました。店員さんはニコニコ。そして僕はきっぱりと回答しました。
「このセットは、結構です。はじめの注文(ハンバーガーとジュース)でお願いします。」
店員は、ちょっと驚いた様子でした。そして幸せセットのメニュー画像を嬉しそう指差すナオをみて、慌てて「載っているチラシだけでも!」と電車が載ったチラシだけ息子に渡しました。
わが家の決意
「これは僕の電車?」
ナオはチラシの玩具の電車を指差していいました。
「そう。ナオの電車だよ。」
無邪気な3歳児はただ電車が載っているチラシを喜んでいました。そこまで欲しがっているなら買ってあげたら?と思う人もいるかもしれません。それでも僕の決意は固いのです。
玩具付の食事は買わない。
理由は簡単です。
僕はお店に息子との時間を楽しみに来ただけなのです。食事をとりながら親子で会話をする。たとえば『これ美味しいね』とか、『お母さんも一緒に来ようね』とか、そんな普通の親子が交わすような些細な会話をする。目的はそれだけなのです。玩具を目的に来たのではありません。
それに、もし僕がここでナオに玩具つきの幸せセットを頼んだらどうなるか?先々の想像はつきます。ナオはこれから先、こう言うと思うのです。
「お父さん、幸せセットを食べに行こう。」
それが僕は嫌なのです。純粋に食事や会話を息子と楽しみたいだけ。そんななんでもない日常の一時を過ごすことが、僕らの幸せセットなのです。玩具が目的の食事は、僕らの幸せセットではありません。
しかし、ここで思いもよらないナオへの試練がやってきました。
隣の芝生は青かった・・・
僕らの隣席にナオと同じ年頃の青いキャップの男の子がお母さんと一緒に座りました。そしてギョッとしました。男の子の手元にはチラシに載っている電車があったのです。
「ママ、開けて。」
男の子は大きな声でお母さんに言いました。ナオは自分のチラシの電車と同じものが男の子の手元にあることに気づきました。チラシと電車を交互に見ていました。ハンバーガーを食べるナオの口元が時折止まる。彼が欲しがっているのは僕にもすぐに分かりました。
試練はさらに続きました。
青いキャップの男の子はナオの存在に気づき、そしてナオが幸せセットの玩具を持っていないことを知って
「これ楽しい!!」
「プ○レール、カッコいい!」
「(電車をテーブルで動かしながら)発車しまーす!ガタン、ガタン!」
とこちらに聞こえるように言うのです。
息子に我慢を経験させるつもりではあっても、こんな辛い経験をさせるつもりはなかったのです。でも変なもので男親の僕だからか、どこか息子を応援する気持ちがありました。
ハンバーガーをいつもより大きく噛むナオ。そのときナオの心の内、僕には読めませんでした。
お店を出た後の彼の一言
幸せセットの親子より食事を早く終えて、僕はお店の階段をナオと下りながら思いました。
もしナオが『あの玩具が欲しい!』と言ったらどうしよう・・・。正直、僕の<買わないぞ>信念は揺らぎはじめていたのです。
あの状況時下で、欲しいと言わなかっただけでも親としては十分合格でした。僕のこの歳の頃なんて、泣きじゃくって喚き散らして親を困らせていましたから。
欲しい!と駄々をこねたら手を強く引いてその場を立ち去ることができるのか?その時の僕はちょっと自信がありませんでした。
息子はお店のカウンターの前を通りました。
ここで振り返って玩具を要求する、と僕はふんでいました。しかしナオはカウンターを見ることもなく、そのままお店の外へトコトコと出ていったのです。そして外で僕へこう言ったのです。
「美味しかったね!ハンバーガー。」
救われた気持ちになりました。
あの状況を耐えたナオは、外へ出て気持ちを切り替えていました。心配した自分が情けなかったです。
「あぁ美味しかったな。楽しかったな。今度はみんなで来ような!」
「うん!」
親子でとても大きな壁を乗り越えた気分でした。