文字や言葉がスムーズに出てこない息子。小学三年生になり、少しずつ長い本に触れる機会を作ることにしました。でも本人に読ませずに、読み聞かせよう。という話です。
悩みの種は「読書ノート」
学校に提出する課題に読書ノートってのがあるんです。子どもの読書記録です。これまで息子は読むのが苦手です。教科書の音読すら拾い読みでひっかかる。だからこれまでは、ちょっと文字が多めの絵本を選んで読んでいました。
ただ三年生になって読書ノートに変化がありました。
本の名前以外に《読んだページ数》を書くルールが追加。これは一体?もちろん、これまで通り絵本のページ数を書けばいい話ですが、ヨメからこのページ数の意味について指摘がありした。
『3年生になると1日じゃ読みきれない本を読みだす年頃なんだよね』
ハッとしました。もうそんな時期か。3年生で絵本の名前を読書記録に書く。いやいや、いつまでもそれじゃいかんだろう。じゃ、教科書の音読すらままならない彼に「本を読みなさい!」と言えない。そんな中でヨメからこんな提案がありまして。
「この本を読んであげようと思うの」
ヨメが提案したのは「エルマーのぼうけん」という児童書。読ませるのではなく読んであげるというのです。でもこれ、読書ノートだけど…ヨメの考えはシンプルでした。
本の醍醐味は「楽しみ」
「まず、本の楽しさを引続き味わってほしい」
息子には難読の傾向があります。これは特性なので仕方ないことして、それでも本の面白さを味わってほしい。
この年頃に触れるべき本はある。読めない(読まない)からと、そのチャンスを逃すのは惜しい。
そのとおりです。そして「読書ノート」というのは、本をどれだけ読んだかの記録じゃない。本にどれだけ触れたかの記録なんですよね。
息子の反応は?
それから毎晩、ヨメさんは仕事で疲れているにも関わらず読書係となりました。布団の中で、二人の子を横に並べて読む。子どもたちはそのひと時を本当に楽しみにしています。
そして、読書記録に書く息子も嬉しそう。それを横目に見ながら改めて、文章がスムーズに読めないという理由で、本に触れることのない人生を送らせるのは寂しいよな、と思いました。
先日、息子は区立図書館の「図書カード」を作りました。渡された登録用紙に、自分で名前を書いていました。もう一人でだって借りれます。読むのがちょっと遅くたって、本は君をずっと待ってくれる。そんな声をかけてあげたいものです。