家族間の特性の違いから生じる問題像

「うちの子…数の概念が遅れているような気がするのですが」
そんなご相談が重なり、お宅にお邪魔する機会がありました。しかしそこで感じたのはその子の問題というより、家族間の特性の違い。それについて書いてみました。


家族間の特性の違いから生じる問題像

「ほんとノロノロ解くから、イライラしちゃうんです。」
「簡単な話なのに、この子はピンと来ないみたいで。」
そのようなご相談を続けて頂きました。
親御さん自身がこの年頃に出来ていたことが、わが子はちょっとできないみたい。勉強不足?という不安です。
ぼくが実際に教えてみました。お子さんは確かにゆっくりな気がしました。ぼんやり眺めているぼくを気づかってか、本人はそれでも急いでいるようす。
「自分のペースでいいよ。」
そう話すと、子どもの鉛筆のうごきはさらにゆっくり。
手を止めては、目をパチパチさせ、また鉛筆が動かします。しばらくして…「できました」とぼくに報告。そして子どもから、どう考えたのか説明を受けます。
そんな授業を終えて、つぎに親御さんとお話します。
お子さんの状況、そして問題と感じているものについて話していただきました。その会話の中で、ハッと気づきました。
それは教えたお子さんと親御さん自身がもつそれぞれの特性。それがどうもかけ離れているようなのです。
これはよくあることです。
一方の特性から別の特性を見るときに違和感があります。
「なんで、この子は…こんな考えなくてもできちゃうことが出来ないの?」と不思議に感じていることがあります。そう感じる方の多くは視覚型タイプです。この視覚型のタイプからみれば、考えなくても出来ることというのは、そこに<見えること>としてある。だから簡単なこととなるのです。
しかし別の優先知覚をもつ者にとって、それが見えているとは限りません。見えていなければ、そこで考える必要があります。
これは他の優先知覚をもつものから言わせれば、考えなくても分かる視覚型タイプが不思議でならないのです。どうやってそんなに早く考えられたのか?こうなるでしょう。
この特性の違いが生む歪みのようなものは、情報のキャッチの仕方である優先知覚だけでなく、ものの考え方におよぶ性格志向などもあります。
とくに特性の違いで大きな歪みを生むのは、
「危機回避志向型」と「未来チャンス志向型」
「論理型」と「視覚型」
「手順型」と「模索型」
これらの特性が親子で割れると、お互いが奇妙な存在として映ることがあります。
特に!この特性が重なりあう…たとえば親が「危機回避志向&手順型」であり、子が「未来チャンス志向&模索型」となると、これは
「あの子の考えていること、全く分からない!」
と悩み込んでしまうこともあります。でもこれは「分からない」が正しいのです。特性が違えば、見ている同じ風景もガラリと変わりますから。同じと思わないほうがいいでしょう。
見えないことの不便性
ここで<見えてないこと>が問題だ、と思われる方がいるかもしれません。たしかに<見えていること>は算数数学の利便性においてメリットは大きいでしょう。問題解決への到達スピードも早くなります。
しかしこの特性を問題視してはいけません。
ぼくはそれって見えている側の都合で生まれた問題像だと思います。見えていないのは、単なるその子の特性によるもの。これは変わるものではありません。
要は見えている側とは違った情報への処理方法を構築すればいいのです。
手っ取り早い方法、そのひとつが図化です。情報をイメージとして紙に落とし込む技術です。その情報のどこに注目し、どのように描くのか?これも描くポイントとして外せませんね。
話が細かくなってきましたが、一言でまとめてしまえばこういうことでしょう。
「問題」ではなく「違い」。
そこを認めることから前に進めると思います。