「頑張るは禁止ですよ」とぼくはと言う

昼寝のクマ
「がんばりが足りなかった」とか「もっとやれば良かった」。子どもたちは学習の成果が芳しくなかったときそういいます。それを否定はしませんが、禁止はしています。その禁止の理由を書きました。


「頑張るは禁止ですよ」とぼくは言う

■がんばるは関係ない。
中学1〜2年生ぐらいの子どもたちには、これまでと違った話をしています。違ったことを話す?いやそうではなくて、それまでの常識とは違った見方で話しています。
「“仕事をそつなくこなす5時帰宅のサラリーマンA”と“仕事を必死にがんばっている夜10時帰宅のサラリーマンB”どっちが素晴らしいと思う?」
という話をすれば、だいたいの子は「それはサラリーマンBだよ」と言います。
「なんでBなの?」
「だって必死にがんばっているじゃん」
「うーん、がんばっているから素晴らしいとは言いきれないよ。」
そもそも素晴らしさの基準が不明なので判別はつきません。
(家族への貢献が素晴らしさの基準なら、さっさと帰宅するサラリーマンAの方が素晴らしいかもしれませんね。)
でも子どもたちは“必死にがんばる”というフレーズをみただけで、サラリーマンBを高評価します。もちろんその感じ方についてはぼくも分かりますが、この感じ方を勉強や仕事の成果の中で用いると危険です。
■すべきことをするだけ
「次はがんばる!」「がんばれば出来る!」という子にぼくは言っています。
「あ、頑張るは禁止ね。
 頑張らなくていいよ。
 ただすべきことだけ、すればいいよ。」
はじめ子どもたちはキョトンとします。『みかん先生よ、がんばらなかったら、オイラ…何にもしなくなるぜ〜』という戸惑いも見え隠れします。
しかし実際にすべきことをやりさえすれば、自ずと結果はついていきます。
これまでの事実をしっかり拾い上げて、成果が期待できるものを優先的に確実にやっていく。それだけで成果は上げられるのです。
■将来、社会が成果を求めてくる
もちろん、頑張るを否定したくはありません。ただどうしても「がんばり」という態度から、物事を出発すると成果のバロメーターを誤ってしまいがち。ぼくはそれを阻止したいだけです。
成果が上がらなかった原因を、がんばりが足りなかったと言ってしまいます。
いや本当は「成果を上げるところを見誤った」だけなのです。がんばる場所を失敗したとも言い替えられます。そこが重要なのにそこには注意が向きません。
子どもたちはいずれにせよ社会に出て、色んな場面で成果を求められます。そこから逃れることはできません。
そんな子どもの将来のためにも“がんばるから正しい”という考え方を、出来るだけ早く取り除いてあげるべきだと思います。そういったことは、この時期の子たちへの重要な課題とぼくは思います。

クマ:朝、登園時刻に玄関先に現れない息子。2人を送り届けて、自宅へ戻った僕が発見したのはこんなクマでした。