みかん先生という僕のニックネームの由来が果物のみかんではなく、終わりがない旅という意味での「未完」であることは長い子どもたちとの中で知られていることだけれど、そんな未完の旅にも突き抜ける瞬間というのがあります。徒然な文章です。
■匂いの旅から見慣れた道へ
毎日、旅は進んではいるし、毎日に何らかの旅の進展はあるんです。
ただ、そのなんと言えばいいのだろう…インスピレーションのままに進んでいるとき…クンクンと甘い匂いを嗅ぎながら路地裏を進んで…
そのいい匂いが一体なんなのか?どこかお菓子のお家でもあるのかしら?と分からずに、でもとにかくその匂いをたよりに進んでいるとぽっと出た道が自分がいつも通っているような道だった!という感動。そんなこと滅多にないんです。でも1年に1〜2回ほどしかないのです。
その感動、そんな進展が久しぶりにやってきました。
■僕の発した一言。
そういった大きな一歩は、遊び心や失敗、いつもと違う心の揺れから見えるものです。その時は、授業の質問をティーチング語を扱うつもりが、何を思ったのかコーチング語で返したときでした。
「似ているのはどこだろう?」
発した瞬間「あ!」と思いましたが、
すぐに「いや、これはいいかもしれない。」と思い直しました。
「似ているところですか?」
「そう、似ているところ。違うところではなく、似ているところ。それはどこかな?」
子どもは考え出しました。
通常、これまでの僕のティーチングの声かけなら「違い」にアプローチが動くのです。しかし僕はここで「似ている部分」へフォーカスさせました。これ実は、僕がコーチングで使う言葉なのです。
(ティーチングとコーチングで使う言葉は異なります)
授業の解法としては、似ているところという表現は殆ど使わないのです。
これまでの従来の例題型学習など、すべて違いが焦点であり、それをポイントとしてまとめています。その流れから行けば、似ているところに焦点を合わせるのは間違い。
■新天地
しかしそこに新しい感触がありました。
感触といっても言葉にしにくいのですが、明らかに子供の思考が大きく変わったのです。
違いではなくあえて似ているところに焦点を当てることで、子どもはそこにある<共通部分>を注目し、考えを深めることが出来ました。
似ているところは、普通、分かっているところだから僕ら教え手もあまり扱いません。しかし本当は見えていないのですよね。見ているようで見ていないのです。
ですから、違いに目を向けさせるのではなく、むしろ似ているところを注視させるべきです。そうすることで数学の問題1つ1つがパーツパーツではなく、大きなまとまりになるからです。
■得意な子はいつもそうだ。
考えてみると算数や数学が得意な子は、そういった大前提部分をとても丁寧に扱います。彼らと同じような立ち位置やフォームを身につける。言わばまねることが、実は一番いいのです。
算数や数学が苦手…という子は特に「詳細部分」を大きく気にしだします。
そういった彼らの視点、コツをどのように上手く導いていくか?
指導方法の新しい段階に入った気がします。