小学二年生の息子が学校でかけ算を習いました。そして宿題でかけ算プリントをやるわけですが、それに時間がかかる。
ぼくが横目でチラリと見てみると、上に目を向けて何か数えている様子。『こりゃ覚えていないな』すぐ分かりました。でも今はそれでいいんです。そんな話です。
九九の暗唱ってそんなに大事?
息子の学校の宿題でかけ算プリントが現れたのは、二学期のはじめごろでした。
学校で九九を習った様子。しかし彼は九九を覚えてない。それでひとつひとつの問題に時間がかかりました。
ある日、鉛筆を握りながらプリントの前で静止している息子に尋ねてみました。
「今、何を考えているの?」
「マルを数えている」
よく見ると首を上下に降って数えていました。まぁ3×4の計算を前に、頭の中で必死に◯を思い浮かて数え続ける息子。ご苦労様です。「がんばってね」とぼくは励ますだけ。
息子に対して随分と適当な指導(?)をするぼくですが、これでいいんです。なぜなら九九はオマケなのですから。無理して全部を覚えなくていい。
それどころかかけ算のイメージ理解が不十分な段階で、九九になだれ込む方がちょっとマズイと思っています。
かけ算はイメージが全て。それがしっかり身につければその後の学習は楽になる。これがぼくの持論です。
この持論を応援してくれる面白い出来事が、その後にありました。
九九を知らずとも12×3はできる
息子を歯医者に連れて行った日のこと。たまたまかけ算の話になり、息子は7の段が覚えられない…とブツブツ言っていました。
そこで暗唱でもすればいいのですが、ぼくは息子に尋ねてみました。
「12×3はわかる?」
「それ習ってないよ」
「習ってなくても分かるだろ?ほら、頭の中で思い浮かべてごらん」
すると素直な息子はじっと上をみて、空中にある透明なおはじきを数えだしました。そして
「36かな?」
「ほぉ、36。どうして?」
「だって12って10と2でしょ。かける3だから…10の棒が3つで、2が3つあるから6で…だから36」
できたじゃん、と言うと息子は信じられない!といった様子で喜んでいました。
これは息子が九九に縛られず、いつものイメージで処理—かけ算の本質からぶれなかったからできたのです。もし九九に拘り続けたなら、できなかったでしょう。
かけ算のイメージがその次の学習のカギになる
学校ではかけ算の学習の第一目標を「九九暗唱」としがちですが、実際の学習の中で本当に大事なのはかけ算のイメージです。
とくに文章題などで「かけ算で求められる理由をイメージで掴む」ことが、その後の子どものかけ算の発展性に繋がります。
自頭で考えれば分かってしまう子は必ずかけ算のイメージ像を持ち合わせているこです。ここをぼくは大事にしています。
最後に
それから時は経過しても、ぼくは息子へ九九の暗唱に拘らせず。
大きなかけ算になってマルが数えられないなら、忘れたら辞書を引くように確かめればいいんだよ、と助言する程度に留めました。
2年生を終えた息子、まだ九九は不完全みたいです。
九九を覚えなきゃ算数の学習理解に支障がでる?
いいえ、忘れたらまた見ればいいんです。